江戸ポルカ

              〜 1 〜


──美しいな。
「そりゃどうも」
──よく化けたものだ。
「でなきゃ仕事にならねェだろう」
──どうした。随分と機嫌が悪いじゃないか。
「客が愚図りやがって、つい先刻まで居座られたんだ」
 吐き捨て、肩に羽織った打ち掛けを引き上げた。不機嫌の原因は
寝不足だけではない。この重苦しい衣裳のせいもあった。
 解放されて漸く着替えられるかと思ったところに、今度は『影』
の来訪だ。タイミングが悪いことこの上ない。
──いっそ、ずっとそのままの格好でいる気はないか?
「寝言は寝て言え」
──寝るか?……俺と。
「用があるなら、さっさと言え。それとも今ここで殺してやろうか」
 くっくっと『影』が笑った。
──つれない男だな。……それで、どうだ?
「まだだ。まるで尻尾も掴めねェ。本当にここで間違いないんだろ
うな?
──『耳』の情報を信じるならな。もし信じられないなら、自分で
   調べてみたらどうだ?
 舌打ちが漏れた。勝手なことを言う。
──とにかく、あまり悠長に構えてはいられないぞ。こちらの動き
   を勘付き始めている奴らもいるようだ。もしかすると、お前の
   正体も既に……
「シッ」
 襖越しに、廊下をぱたぱたと走る足音が聞こえた。足音の軽さか
らして、禿の一人だろう。気配が遠ざかるのを待って、言った。
「とにかくこっちは怪しまれるわけにはいかねェんだ。もう少し
マシな情報を寄越せって、ジジィに伝えろ」
──承知した。次はもう少し、愛想を覚えるんだな……不壊。
 無言で簪を抜き、声に向かって投げ付けた。上等の紅珊瑚をあし
らった簪が、天井板に突き刺さる。
 篭った笑い声を残して、『影』は消えた。同時に、窓の外の庇
から、黒い鳥が一羽、飛び立つ。
 念のため、四方に意識を走らせたが、特に妙な気配は感じられな
かった。
 ほっと息を吐き、不壊は窓の障子を開けた。
 白灰色に煙ったような空に、陽が射し始めていた。
 夏の早朝、大気はいっ時、その熱を手放す。
 心地良さに目を細め、桟に凭れた。
 往来には既に、いくつか人影があった。
 近隣の農村から野菜を売りに来たのだろう行商人。
 得意先の台所を回る棒手振り。
 供を連れ、俯きがちに足早に通り過ぎていくのは、夜っぴて遊び
惚けてしまった大店の若旦那あたりか。
「……ふん」
 不壊は鼻で嗤った。
 馬鹿馬鹿しい。遊んで後悔するくらいなら、大人しく家にこもっ
ていれば良いものを。
 そろそろ寝ようかと、障子を閉めかけた時だった。
「注文されていたのは、これで全部だよな?」
 場違いな声がして、思わず不壊は階下を覗き込んだ。この界隈に
は珍しい、子供の声だった。
「それじゃ、またよろしく。毎度ありィ!」
 しかも、挨拶の台詞からすると、この茶屋に出入りしている酒屋
とか乾物屋とか、そのあたりの小僧らしい。
 しかし、それなら何故、裏の勝手口ではなく表玄関から堂々と
出入りしているのだろう。
 奇妙に思って見ていると、件の子供が往来に現れた。
 やはり11、2歳くらいの少年だった。
 料理屋で働いているのか、手には出前持ちのような桶を一つ、
ぶら下げている。
 子供は数歩、歩き出したが、突然、何を思ったか道の真ん中で足
を止め、くるりとこちらを振り返った。
 目が合った。
 途端、子供が大きく目を見開いた。
「……あ?」
 不壊は眉を顰めた。
 知り合いだったろうか。いや、違う。見覚えのない顔だった。
 第一、子供は嫌いなのだ。知り合いになろう筈もない。
 だが、少年は立ち尽くしたきり動こうとしない。あまつさえ、
ぽかんと口を開けている。とんだ馬鹿面だ。


                              続く
                  

2007.10.5
Cまで(第1〜2節)再度アップいたしました。
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2007.9.6
2007年夏コミにて、『江戸ポルカ』は大幅に加筆修正して、
オフラインで発行いたしました。
それに伴い、オンライン連載分は落とすことと致しました。
何卒ご了承ください。

オフラインはこちらで詳細をご覧いただけます。


2007.2.22
辛抱堪らず始めました。遊郭もので三不壊です。
馬鹿面だって…ゴメン、兄ちゃん。
これでも私は兄ちゃん至上主義です。