江戸ポルカ   〜 2 〜


  父親が琴の名手、母親が小唄の師匠をしているという芸事一家
で、その関係で数年間、英吉利にいたらしい。『ロンドン』という
渾名は、そこから来ている。
 女物から仕立て直した萌黄色の着物と、頭には粋に巻いた臙脂
の手拭い。
 二つ年上の友人は、涼しげな切れ長の目をぱちぱちと瞬かせた。
「どうしたんだ?狐に抓まれたみたいな顔してるぜ」
「狐に……」
 狐狸の類に通じるものもある気はするが、やはりそれとも何か
違う。
考え込む三志郎がよほど珍しかったのか、ロンドンは顔を覗き
込むようにしながら言った。
「おい、本当に大丈夫か?何かあったのか」
「あ?ああ……うん」
 今、ここであった出来事を、話して聞かせるべきか、否か。
転がった桶を拾い上げながら逡巡していると、
「話してみな」
すかさず促された。
 三志郎の奉公先である料理屋『瓢屋』まで並んで歩く道すがら
三志郎は興奮と戸惑いの入り混じった実に判りづらい説明をし、
ロンドンは時折短い質問を挟みながら、辛抱強くそれを聞いた。
「そりゃあ、異人じゃないのか」
 汐見橋にほど近い瓢屋に到着する頃、ロンドンが言った。
「異人……」
「銀髪で背が高くて、瞳が黒じゃないんだろ。和蘭とか英吉利
とか、西洋から来た異人じゃないか?」
「英吉利人って赤い目してんのか」
 ロンドンは少し考え、「いや、赤目を見たことはない」と答え
た。
「けど、話を聞く限りそうとしか思えないぜ。尤も……何だって
異人が茶屋で体売ってんだか、判らないけどな」
 両親の仕事柄、ロンドンの家には西洋からの客がしばしば出入
りしている。
 その彼が言うのだから、そうなのかもしれない、が。それでも
どこか据わりが悪い気がする。
 それに、ロンドンにはあえて言わなかったが、もう一つ、奇妙
なことがあったのだ。
 三志郎は、確かに伸ばした腕で不壊を受け止めた──筈だった。
 だがあの時、三志郎は殆ど彼の重みを感じなかったのだ。
 鳥の羽一枚、あるいは風そのものを抱きとめたようだった。
 東洋人だろうが西洋人だろうが、人間であるならば、それなり
の重みがある筈だ。それが無い、とは。
 人間なら。
 そこで、ふと思い至った。
 ──人外?
 不意に、わざとらしい咳払いが聞こえた。見れば、ロンドンが
にやにやと嫌な笑みを浮かべていた。
「……何だよ」
「で?異人の陰間に見惚れて、あんなとこで朝っぱらからボケッ
と突っ立ってたってわけか?」
「見惚れてなんか……!」
 言い返そうとする三志郎の前に人差し指を立て、片目を瞑る。
「ミックがここにいたら、絶対こう言うだろうな」
 ロンドンは、この場にいないもう一人の友人の口真似をした。
「ソーレハ恋デスネー!」
「ロンドン!」
 繰り出された三志郎の拳をひょいとかわし、身を捩り笑う。
「クールじゃないな、三志郎!」
「うるせェよ!」
 熱っぽい頬を手の甲で擦り、三志郎も笑い出した。
 朝の往来でげらげらと笑う子供二人を、何事かと振り返りな
がら大人たちが通り過ぎて行く。
 随分、人通りも増えて来た。
 そろそろ戻らないと、店の者にどやされそうだ。
 桶を抱え直しながら、そういえば、と思い出した。
「ロンドンはあんな場所で何してたんだ?仕事の時間には早い
だろ」
 ロンドンは嫌がるが、両親の音楽の才能は、余すところなく
一人息子に引き継がれたと言って良い。
幼い頃から三味線に触れて育った彼は、齢七つで町の師匠に
通うことをやめてしまった。
 本人曰く「教本どおりの演奏がつまらなかったから」という
話だが、真相は周囲の誰もが知っている。技術で師匠を追い抜
いてしまったせいだ。
 今では、子供ながら中堅の芝居小屋の出囃子まで張っている。
 ロンドンは、左手に持っていた布包みをちょっと掲げてみせた。
形状から、中身が三味線であることが知れる。
「昨日、舞台の後で三味線屋に手入れに出しておいたんだ。
それを取りに行っていた」
「こんなに早く?」
「これから客が来るんだよ。そいつの前で演奏しなきゃいけな
くってさ」
「客って、親父さんの知り合いか何かか?」
 首を振った。
「違う。英吉利で俺の演奏を聴いたとかいう英吉利紳士。もう
一度聴きたくって、わざわざ日本まで俺を探しに来たんだって
さ。とんだ物好きもいたもんだよな」
 そう言いつつも満更でもなさそうな顔で手を振り、ロンドンは
自分の家に帰って行った。
 途端、
「三志郎!お使いに何時間かけるつもりだ!」
 怒鳴り声が上がり、三志郎は首を竦めた。瓢屋の店先で、
怖い顔の手代が仁王立ちしている。
「ごめんなさい!」
 慌てて駆け戻りながら、いずれもう一度、あの不壊という
不思議な男に会いたいと思った。



                              
2007.10.5
冒頭だけでは「何のことやら…?」と首を傾げられた方も多いと
思います…ので、第2節まで、アップしておくことにしました。
オフラインでは、ここまでの部分も大分加筆されていますが、
あえて修正せず、オンライン連載当時のままで載せています。
『江戸ポルカ』本誌の詳細情報は、こちらでご覧いただけます。

2007.3.16
とんだ物好きな英吉利紳士といえば…そうです、あの人です(笑)
そしてミックの口真似をするロンドンって、書いてみたら新鮮でした。