2×2〜番外編


               〜 暫 @〜


 日常というのは、つくづく空気や地面みたいなものだと
三志郎(兄)は思う。
 あって当たり前、ありがたみなんてそう感じるものでもない
し、かといって無くなってもらっちゃ絶対に困る。
 幸い巨大隕石が落下して二酸化炭素が地表を覆い尽くす
こともなければ、日本列島が海中に沈没することもなく、双子
の三志郎兄弟は、この春めでたく高校に進学した。
 浮かれ気分で桜が舞い散る四月を過ごし、これまためでたく
16の誕生日を迎えた、五月。
 当たり前の日常を粉々に粉砕する、その事件は起こった。


「何だ、こりゃ」
 カフェの奥に位置するフエと不壊の自宅。制服姿でその居
間に現れた三志郎(弟)は、くっつきそうなほど太い眉根を寄
せ、呟いた。
 無理もない。三志郎(兄)も、ほんの十五分前、同じ台詞を
口にしたのだ。
「何だこりゃ」
 弟はもう一度言い、救いを求めるようにこちらを見た。
「なあ、どういうことだか、説明してくれよ」
 ソファに腰を下ろしたまま、三志郎(兄)は首を振った。
「判んねェよ、俺にも」
 何がどうしてこうなったのか、こっちが聞きたいくらいだ。
 ただ一つ、はっきりしていることがある。
それは、十分前に、本人「たち」の口から聞いたのだ。
 弟が、人差し指を突きつけ、言った。
「こいつらは、何なんだ!」
「人を指差すんじゃねェよ」
 三志郎(兄)の右から、声が上がった。銀色の癖毛をうざっ
たそうにかき上げ、『彼』は三志郎(弟)を睨んだ。
「失礼な奴だな。勝手に人の家に上がり込んでおいて」
「人の家?おい、ここはお前らの家じゃねェぞ!ここにはなあ、
不壊とフエっつう、れっきとした住人が」
「だから俺たちン家だって言ってんだろ」
 三志郎(弟)の目が、1.5倍ほどに広がった。十分前、自分は
あんな顔を晒していたのかと三志郎(兄)が少しショックを受け
た時、今度は左から声が上がった。
「僕がフエで、そっちが不壊。この家は、僕たちの家だ」
 三志郎(弟)の肩から、すとんとディパックが落ちた。

                × × ×

 フエと不壊と名乗る、十歳前後と思しい子供二人は、自分達
がこの隣でカフェを経営していたことは勿論、三十過ぎの大人
であったことすら忘れていた。というより、子供時代に戻って
しまったのなら、彼らの記憶もまた、過去へと退行してしまっ
たのだろう。
 だが、完全に忘れたというわけでもないようで、大人になっ
てから住んだ筈のこの家を、自分たちのものだと主張し、なる
ほど慣れた身ごなしで、フエは四人分の紅茶を淹れてくれた。
「……で?子供に戻っちまったのは、その薬が原因なんだな?」
 フローリングの床に胡坐をかいて座り込み、三志郎(弟)が
訊ねた。目線は、三志郎(兄)が手にしたものに注がれている。
 幻風堂の薬袋だった。中には、薄茶色の粉薬が数袋、入って
いる。
 三志郎(兄)は唸った。
「はっきりそうと決まったわけじゃないけどな。これくらいし
か、二人一緒に口にしたものがねェんだよ」
 三日ほど前、フエ(大人)が引き込んだ風邪は、昨日には不
壊にもうつっていた。一つ屋根の下で生活し、朝から晩まで狭
い店で一緒に働いているのだ。うつっても不思議はない。
 ところで、フエと不壊のかかりつけ医は、彼らが子供の頃か
らよく知っているという、幻風堂なる怪しげな開業医である。
 医院の外観は今にもつぶれそうだが、幻風堂自身の腕は確か
で、彼が出す漢方薬はよく効く。それは三志郎(弟)が11歳時
に実証済みだ。
 どうせ同じ症状なのだからと、フエに出された薬を不壊もも
らって飲んだらしい。三志郎(兄)が来た時、テーブルの上に、
空き袋が二つ載っていた。
 三志郎(弟)が盛大に溜息を吐いた。
「コナンくんじゃあるまいし、薬でちっこくなっちまうなんて
洒落にもなんねェよ。幻風堂の爺っちゃん、何考えてんだ」
 小馬鹿にしたように不壊が鼻を鳴らした。
「洒落でも冗談でもなくて、これが現実だ。俺たちが本当は大人
だって言うんなら、さっさと元に戻る方法を考えてくれよな」
「何でお前はそう態度がでかいんだよ!不壊にはもう少し可愛げ
ってもんが……」
「だから、俺が不壊だって言ってんだろ。判りきってること何度
も言わせんじゃねェよ」
「こいつ……!」
 三志郎(弟)のこめかみに青筋が浮いた。危険を察知して、
不壊がソファから腰を浮かせる。
「先刻から黙って聞いてりゃクソ生意気なことばっかり言いや
がって!待て!」
 飛び掛かる三志郎(弟)の手をすり抜け、不壊は素早く床に
飛び降りた。
「三志郎!」
「止めんなよ!不壊の奴、とっ捕まえてケツひっぱたいてや
る!」
 ダイニングのテーブルを挟んで、攻防戦を始めた弟と不壊を
見やり、三志郎(兄)はやれやれと肩を落とした。緊張感に欠
けること、この上ない。
「おい、いい加減に……」
「賑やかだな」
 フエが言い、三志郎(兄)は、目を瞬いた。大分下の方にあ
る横顔に目を落とす。


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2009.3.15
暁 秋月さんから頂いた、相互リンク記念のイラストへのお返し
物ですv
フエの子供の頃の一人称は「僕」だった模様(笑)