2×2〜For seasons〜


〜 四月馬鹿 A〜


             ×  ×  ×

 一組残っていた客が、ドアチャイムを鳴らし、出て行った。
それを、
「ありがとうございました」
とフエが見送る。
 皿洗いの手を止め、三志郎(兄)は、こっそりその様子を窺
った。
 4月1日、午後4時半。
 15分ほど前、弟は不壊と一緒に買い出しに出掛けた。本当
は、三志郎(兄)が付いて行く番だったのを、交代したのだ。
嘘でフエと不壊を揶揄うなら、それぞれ二人っきりになった時
しかない。それなら、買い出しの時間がうってつけだ。
 そう申し合わせて、わざわざ仕組んだのだ。
 まさに今。今この瞬間が、千載一遇のチャンスだ。
 テーブルを片付け、使い終えた食器を手に、フエが戻って来
る。
 一つ咳払いし、三志郎は切り出した。
「えーと……あのな、フエ。ちょっと聞いて欲しいことがある
んだけど」
 慣れない嘘に意気込み過ぎて、我ながら切り出し方が不自然
だった気がする。冷や汗が出たが、フエは気にも留めなかった
らしく、「何だ?」と先を促した。
「その……うちの旅館、倒産するかもしれないんだって」
 勿論、そんな事実はない。昨夜、必死に考えた嘘だ。
「ずっと赤字だって話でさ。俺たち、田舎の爺ちゃん婆ちゃん
とこ行かなきゃいけねェんだ。そうなったらもう、ここにも来
られねェ……」
 せいぜいしんみり聞こえるように言い、ちらりとフエの顔を
見上げた──が、フエの表情は変わらなかった。
「ふぅん」と気のない相槌を一つ、手にした食器をシンクに
下ろし、何事もなかったように仕事に戻ろうとする。
 ちょっと待て。
 三志郎は慌てた。これでは話が違う。予定では、もっともっと
驚いてくれる筈だったのに。
「フ、フエ?お前、俺が遠くに行っちまっても、平気なのかよ?」
 フエが肩越しに振り向いた。
「遠く?」
「『田舎の爺ちゃん婆ちゃんのとこ』、って言っただろ?もう会
えねェかもしれないんだぞ」
「……田舎ってのは、去年の夏に不壊が三志郎に連れられて遊び
に行った栃木の家のことか?首都圏から二時間圏内だ、日帰りだ
って会おうと思えば会える」
「でも!」
「じゃあ聞くが、倒産寸前の旅館が、旧館の改築工事をするの
か?」
 三志郎は、うっと言葉に詰まった。
 しまった。つい先週から始まった多聞亭の改修工事を、フエ
は知っていたのか。
 黙っていると、フエは更に言った。
「ホームページも改装していたな。赤字の旅館にしては、随分
羽振りがいいように見えたが?」
 ばればれだ。
 早々に降参し、がっくりと三志郎は項垂れた。
「あーあ……やっぱダメかあ……」
「慣れない真似はしないことだな」
 フエの声が冷たい。三志郎は顔を上げた。
「フエ?」
 無論、嘘がばれたとしても、慰めてくれるなどとはゆめゆめ
思っていなかったが、それにしても小馬鹿にするなり嗜めるな
り、もう少し色のある反応があってもいいような気がする。
「もしかして、怒ってんの……?」
 流しっぱなしだった蛇口の水を止め、フエは言った。
「他愛のない嘘もだが、こういう類の嘘は特に、感心しない。
口にする言葉には、皆、言霊が宿っているというから」
「ことだま?」
「口にしたことは、現実のものになる。そういう力のことだ。
例えばお前が、『多聞亭がつぶれる』と言えば、その通りのこと
が起きる」
「そりゃ困る!」
 ぞっとして、三志郎は叫んだ。
「なら、嘘でも冗談でも、滅多なことは口にしないことだ。現実
になってしまってから、悔やんでも遅いだろう」
「うん……そうだな」
「それに、他愛のない嘘だとしても、嘘は嘘だ。慣れてしまえ
ば、人を騙すことなど何とも思わなくなる。お前がそうなって
しまったら、私はどうやってお前の言葉を信じたらいいんだ?」
「……!」
 洗いかけの皿が、手から滑り落ちそうになった。
 弟の声が耳の中に響く。
 ──フエならきっと、騙されてくれんじゃねェ?
 そのとおりだ。フエは三志郎の言葉を、そのままの形で受け取る
だろう。
 だからこそ、騙してはいけないのだ。
 泡だらけの手で、フエの黒いシャツの袖口を掴んだ。フエが
目を瞬く。
「……ごめん。二度と嘘なんか吐かねェよ」
 薄い唇をほんの少し緩め、フエは、こっくりと頷いた。
 

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2008.10.25
兄ペアはこんな感じですv
フエ…多聞亭のサイト、チェックしてたんだ…?