江戸ポルカ U
〜14〜
助けられなかった。
修は、もう何十遍、何百遍も繰り返した言葉を、また胸の内
で噛み締めた。
清を、助けられなかった。
修の目の前、すぐに手の届くところに清はいたのに、体は硬
く強張り、足が竦んで一歩も動けなかった。
怖かった。
あの時、修の足元には、間違いなく『何か』がいた。
地の底を物凄い速さで駆け巡り、火山の噴火のように地面を
突き破って現れそうな、見えない『何か』。
その存在と、かつて経験したことのない大きな揺れに、修は
恐れおののいた。
清は、大切な神殿を守ろうと必死だったというのに、自分は
──清どころか、自分の身すら守れなかった。
修は、頭を抱え、畳に突っ伏した。
張り替えたばかりのまだ青みの残る畳の上に、弱い冬の陽が
落ちている。
八丁堀組屋敷の一画にある北町奉行所与力、里村功左衛門の
邸内は、八ツ時(午後二時頃)だというのに、しんと静まり返
っていた。
主で里村功左衛門は勤めがあるから当然のこと、その妻、つ
まり修の母りくは楽しみごとの多い女で、今日も近所の奥方仲
間と琴の弾き合わせをするのだと言って昼前から出かけて行っ
た。
二人の愛情が足りないとは思わない。何不自由ない暮らしと、
熱心な教育のお陰で、史上最年少で素読吟味に合格もしたし、
学問吟味への準備も着々と進んでいるのだ。感謝しなければ、
と思う。
が、何事も完璧を望む仕事一徹の父と、男兄弟のいなかった
お嬢さん育ちの母の目線は、自室に閉じこもってしまった一人
息子を思いやるには、あまりに高すぎた。
「うう……」
恐怖と後悔に、食い縛った歯の隙間から呻き声が漏れる。固
く瞑った瞼の裏に、髪の長い、大きな目をした少女の面影が浮
かんだ。
清。
父に付いて歩く中で、同じ年頃の少女に会うことも少なくは
なかった修だが、頬が熱くなるような想いを抱いたのは、初め
てだった。
巫女という立場のせいだけでなく、例え巷間にあっても、清
は他の町娘たちとは違う。派手な色柄の襦袢を裾からぞろりと
見せて、男の目を引いては喜んでいるような、下品な娘たちと
は違うのだ。
初めて会ったのは、轟神社の大祭だった。
煌々と燃える篝火の下で「初めてお目にかかります。清と申
します」と微笑んだ、その顔を見た瞬間に、好きになった。
本当は泣き虫で気弱な性質にも関わらず、懸命に気を張り、
仕事のために凛と振舞っているのだと知ってからは、ますます
恋心が募った。
修とて、身分違いは承知している。寺社の娘とは言え、与力
職の家に生まれ育ち、いずれは父の跡を継ぐ修とでは、釣りあ
わない。
それでも、清を守りたかった──守れると思っていた。
それがどうだ。このざまは。
「……?」
家の中で物音がした気がして、修はふと、耳を澄ました。
何も聞こえない。空耳だったようだ。
そういえば無我の姿も見ていない、と修は気付き、自嘲の笑
みに頬を歪めた。
無我も、呆れているだろう。だから、姿を見せないのかもし
れない。
(続く)
2008.3.13
あれからどうなったの?というわけで、修です。