江戸ポルカ U


 〜14〜


  普段は生意気なことばかり言っているくせに、いざとなった
ら何一つ出来ずに震え上がっていた。あんなだらしのない子供
にはこれ以上付き合っていられん──と、出て行ってしまった
のではないか。
 崩れた社殿の下敷きになった修を庇った無我は、妖らしく無
傷だったが、修の無事を確かめた後、無言でどこかへ消えてし
まった。
 それきり、もう丸一日、屋敷に戻っていない。
 夏の始めに突然現れ、ここに身を寄せてからというもの、こ
れほど長く、無我が修の傍を離れたことはなかった。
「とうとう個魔にまで、愛想を尽かされたか……無理もないな」
 呟くと、だらりと両脇に落としていた手指に、力が篭った。
畳に爪を立て、掻き毟る。い草が爪の隙間を刺して、ちくちく
と痛んだ。
 己の不甲斐なさが、情けなかった。
 何故、何故動けなかったのか。
 三志郎なら、と、不意に思った。
 三志郎なら、きっと恐れることなく清を助けていただろう。
そして、個魔に見捨てられることもなかったろう。
 不壊と言ったか。夏に一度だけ、芳町の陰間茶屋で見た。
 男の身で女郎のように体を売る陰間になりすまし、妖を拐か
した下手人を探しているのだと、後で無我に聞いた。
『しかし、あのような姿に身をやつしているのも、そう長いこ
とではないでしょう。三志郎殿が、妖を取り戻す手助けをして
下さるということ故』
『三志郎が?』
 思わず聞き返してしまった。
 三志郎は、一日も早く妖たちを助け出し、不壊を陰間茶屋か
ら連れ出してやると約束したのだという。
 何を馬鹿なことを、と呆れた。
 三志郎も、いずれは親の跡を継いで、料理旅籠を切り回して
行かねばならない立場だ。今は奉公に励むべき時だろうに、た
かが個魔、たかが妖のために、何をやっているのか。
 だが、その一方で、三志郎ならあり得る話だとも思った。
 騒がしいし頭は悪いし、何かと修の癇に障る三志郎だが、妙
に人を惹き付けて離さないところがある。
 嘘や曲がったことを嫌うまっすぐな性格と、誰彼の区別なく
接するおおらかさ、心の強さに皆、惹かれるのだ。
 悔しいが、こればかりは修も認めざるを得ない。
 そんな三志郎にとっては、妖も人も変わらないのだ。何の躊
躇いもなく、「ここから出してやる」と言い切ったに違いない。
 だからこそ、三志郎の個魔も、三志郎を見捨てて消えたりし
ない。
 そして、清も──。
 腕に篭っていた力が抜けた。見れば、指先から血が滲んでい
た。
「……僕は、三志郎には勝てないのか……」
 呟いた時、また物音がした。反射的に顔を上げる。
空耳ではない。床板が軋むような、誰かが摺り足で近付いて
来るような音だった。
「何奴!」
 立ち上がり、床の間の木刀を掴むや、唐紙を開け放った。誰
もいない。
 おかしい、と部屋の内を振り返り、修は凍った。
 誰もいない筈の部屋の中央に、女が佇んでいた。
 赤い髪をして、黒い着物を纏っている。俯けた顔は暗かった
が、はっと目を奪われるほど美しい。
 お前は誰だ。どこから入った。
 そう尋ねようとしたが、声は喉に絡みついたようになって、
出て来ない。
 またも立ち竦む修の前で、女が右手を広げた。袂が開き、手妻
のように少年が現れる。女は、個魔だったのだ。
 少年は、修と同じくらいの年嵩だった。長い髪を一つに束ね、
血の気の少ない頬には薄笑いを浮かべている。
 少年が、小首を傾げた。
「君は、三志郎に勝ちたいのかい?」
 その瞬間、恐怖も驚愕も消えた。
 勝ちたい?そうだ、勝ちたい。三志郎に勝って、清を自分の
ものにしたい。
 修は頷いた。
「ああ……勝ちたい」
 強くなりたい。三志郎にも、誰にも負けない強さを、手に入
れたい。
 そう言うと、少年が笑みを深くした。不思議な笑顔だった。
笑っているのに、見ていると背筋が寒くなって来るのだ。
 だが、今の修にとって、そんなことは些細なことだった。
 強いことは、正しいこと。『強さ』は誰もが認める不動のも
のだ。
 強くなりたい。
 そうすれば、清を手に入れられる。無我も戻って来てくれる。
「……どうすればいい?どうすれば、強くなれる?」
 ウタが何故か顔を背けたが、少年はそれを顧みることなく、
嬉しげに言った。
「君が僕と組んで、僕の言うとおりに、遊んでくれたら……」
「お前と組んで、遊ぶ……?」
 応えはなかった。
 修の周りから、全ての音と色が消えた。


                            15に続く



2008.3.15
振り向いたら、部屋の中に見知らぬ女が…って、ホラーですね(汗)
これまでに怖〜い体験をされた方、いらっしゃいますか?
私は、天井から手がぶら下がっているのを見たことがあります。


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