江戸ポルカ U


〜13〜


 だが、要が持ち出したのは、そのことではなかった。
「個魔のせいだ」と、要は言った。
「てめェも、個魔憑きなんだろ」
「不壊のこと言ってんのか?……ああ」
 狐憑きのようで、あまりいい感じはしないが、言いたいこと
は判る。三志郎は頷いた。
「てめェの個魔を見て、また兄者はおかしくなっちまった。
個魔が欲しい、絶対にウタを探し出せって、毎日そればっかりさ。
そこに来て、今度はあの女が江戸に戻って来ているって噂だ。
もうこれ以上、あんな兄者を見ていたくねェんだよ」
「それで、俺に撃符を預けたのか」
 漸く、話が繋がった。
 要は渋面のまま頷いた。
「他の誰もない、兄者のことだ。出来るもんなら、俺たち兄弟
で何とかしたかったさ。けど、ウタが一緒にいる撃符使いの野
郎は、半端じゃなく強いって聞いた。俺たちなんかじゃあとて
も敵わねェ。そう思ったから、てめェに会いに来たんだ」
「……おい!」
 三志郎は、驚いた。
 要が、頭を下げていた。その姿に、甍が目を丸くしたが、腰を
殴られ、慌てて真似をした。
 だが、慌てたのは三志郎も同じだった。
「ちょっ、ちょっと、待ってくれ!俺はまだ、こいつを受け取
ったわけじゃあ」
「頼む。あの撃符使いに勝って、江戸からあいつらを追い払っ
てくれ!もう、兄者が個魔に振り回されているのを見るのは嫌
なんだ!」
「だからって、俺じゃなくてもいいだろう?お前ら兄弟じゃな
くとも、華院になら、いっくらでも強い術者がいるんじゃねェ
のか」
「そこそこ強い奴は兄者が連れていたけど、どいつもこいつも、
夏にこてんぱんにやられて逃げ帰って来た。うちで一番強いの
は、兄者だ。その兄者に、てめェは勝ったんだろ」
「俺だけで勝ったわけじゃねェよ!あん時は不壊もいたし、仲
間もいたんだし……」
 どうにかして撃符を突っ返そうと三志郎は腕を伸ばしたが、
要は素早く後ろに下がり、それを許さなかった。
「不壊ってのがてめェの個魔か。だったら、またそいつを呼べ
よ。個魔憑きの相手が出来るのは、個魔憑きだけだ。どう考え
たって俺たちが敵う相手じゃねェ。てめェに頼むしか、ないん
だよ!」
 竹を編んだくぐり戸を開け、要は顔だけでこちらを振り
向いた。
「頼んだぞ。頼んだからな!絶対、あの撃符使いに勝って、あ
の女ごと江戸から追っ払ってくれよ!」
「おい、待てよ!待てってば!」
 三志郎の制止を振り切り、要と甍の兄弟は、逃げるように表
へ出て行ってしまった。
「何なんだよ、あいつら……!」
 一人になると、じわじわと腹が立ってきた。人の話くらい、
聞けってんだ。自分勝手に喋るだけ喋って帰りやがって。
 手の中の、押し付けられたものに目を落とす。蜘蛛蔵と逆和
尚。
 他のものなら、腹立ち紛れに地面に叩きつけているところだ
が、これは生きている妖だから、そういうわけにもいかない。
 それに、この妖たちに罪はないのだ。
「お前らだって、外に出たいよな……」
 独りごちて、三志郎は肩を落とした。
 妖は助けてやりたいし、兄を心配する要たちの気持ちも判ら
ないでもない。
 それでも、撃盤と向き合う気にはなれなかった。こんな中途
半端な気持ちで、正人に勝てるわけがない。
 不壊を呼べばいい、と要は言った。だが、不壊が今の自分を
見たら、何と思うだろう。
 情けない奴だと愛想を尽かすだろうか。
 妖を助け出して、不壊を自由にしてやるなどと豪語したけれ
ど、所詮あんなものは子供の戯言だったのだと、黙って諦める
だろうか。
 どちらも嫌だった。不壊に愛想を尽かされるのも、諦められ
るのも嫌だ。
 だから、今は不壊に会えない。
 ではいつになったら会えるのか、と問われても、三志郎には
答えようがない。
 自分は、どうしたいのか。そのために、何をすべきなのか。
 判っているのに、肝心の心と体が動かないのだ。
 出口の見えない迷い道に、入り込んでしまったようで、三志
郎は項垂れた。
「……戻るか」
 こんなところでぼんやりしているところを見つかったら、また
番頭やおくめにどやしつけられる。拳骨で殴られるだけなら
まだしも、またぞろ向島から母を呼び出されてはかなわない。
 要と甍の撃符を、懐に仕舞った。台所に向かう途中、小僧部
屋に寄って、行李の中に隠さなくては。
 ちらりとでも『重馬のその後』を気に掛けてしまったことを、
今更のように後悔した。


                            14へ続く



2008.3.11
アニメで華院四兄弟の個魔は一切出ませんでしたが、どんな
個魔だったんでしょうね?