江戸ポルカ U


〜 12〜


 「まあ、そうだな」
 気のない返事に、「カーッ!」とイズナが不平を漏らす。
「何だよ何だよ、その態度!こっちは命の危険を顧みずにだな
あ……」
 畳に引っ繰り返り、じたばた暴れ出したイズナから、不壊は
窓の外へと目を戻した。
 連子窓のすぐ下、左右に伸びる黒い瓦屋根。もう何度も、
三志郎はそこを伝って、この部屋まで上がって来た。
 子供が来る場所ではないのだからと、何度追い返しても聞き
分けず、とうとう不壊が押し負けたのだ。
 ──俺の傍にいろよ、不壊。お前は、俺の個魔だ。
 不壊を抱いて、あの日、三志郎はそう言った。
 だが、今夜、瓦屋根を伝ってやって来る少年の姿はない。
「不壊?」
 イズナが、耳をぴんと立てた。とことこと近づいて来たかと
思うと、不壊の膝に飛び乗り、座り込む。
「大丈夫なのか?」
「何が」
「だから、あの、三志郎ってガキ。腑抜けみたいになっちまって
さ、あんなんで長たちを連れ戻せるのかよ。お前も、心配なん
だろ?」
 見上げるイズナの目を、不壊は見返した。
 命からがら、こちらの世界に逃げ帰った三志郎は、一人、奉
公先の瓢屋へ帰って行った。
 殆ど口をきかず、不壊の顔を見ようともせず、ただ別れ際『少
し、一人にしてくれ』とだけ言った。
 昨日の明け方のことだ。それきり、何の音沙汰もない。
 異変が起これば影を通して不壊にも判るが、この二日、そん
な様子はなかった。正人も、瓢屋までは追わなかったようだ。
「あいつさ、びびっちまって、もう出て来られねェんじゃない
か?」
 イズナは、真剣な顔をしていた。
「嫌味で言ってるわけじゃねェよ。俺だって、妖同士のあんな
戦いを見たのなんか、初めてだ。正直、仲間だって判ってても、
ぶるっちまったぜ。ましてあいつは人間で、しかも子供だろ。
二度と関わりたくねェって思ったとしても、当たり前さ」
「そうかね」
「そうさ。……なあ、不壊」
「ん?」
「こんなこと聞くの、俺も嫌なんだけどさ」
「何だ」
「あいつが、もう戻って来なかったら……撃符使いなんか、
まっぴらだって言ったら、どうすんだ?他の奴を、探すのか?」
「……いや」
 不壊は首を横に振った。
「どうもしねェよ。あの兄ちゃんが嫌だと言えばそれまで。
妖の世界は、終わりだ」
「そんな……!」
 食って掛かろうとするイズナの頭に手を置き、撫でる。ふわ
ふわとした毛並みが温かかった。
「俺は個魔で、兄ちゃんは俺の片割れだ。兄ちゃんが選ぶなら、
俺はそれを信じて、付いて行くだけだ」
「『個魔』だからか」
「ああ。個魔だから、だ」
「ふぅん……」
 イズナがごろごろと猫のように喉を鳴らした。撫でられてい
るうちに、眠くなってしまったらしい。
 膝の上で丸くなり、欠伸混じりにぶつぶつ呟く。
「俺は、イズナで良かったぜ……個魔なんて、面倒臭ェ……」
 かくんと頭が落ちた。尻尾に鼻先を埋め、寝息を立て始める。
 不壊は小さく溜息を吐いた。
「俺も、そう思う」
 個魔が選ぶのは、片割れとなる人間だけだ。
 一度片割れを決めたら最後、あとはその相手を信じて、全て
を受け入れ見守ることしか、個魔には出来ない。
 例え、三志郎が何を選んだとしても、不壊はそれを受け入れ
ることしか出来ないのだ。
 瞳の紅い光が消えた。同時に、寒さを感じて、不壊は障子を
ぴったりと閉ざした。
 窓の桟にこめかみをあて、目を瞑る。
 ──撃符使いなんてまっぴらだって言ったら、どうするんだ。
 イズナは怒るだろうが──『撃符使い』を失うことは、怖く
ない。
 その結果、妖たちを取り返せなかったとしても、自分が陰間
として、ここに繋ぎとめられてしまったとしても、そんなことは
どうでも良かった。
 三志郎が、戻って来なかったら。
 ただ一人の片割れを、これきり失ってしまったら。
 三志郎の全てを受け入れようと決めながら、不壊はそれでも、
恐れていた。


                              13に続く
   


2008.2.10
不壊に撫でられてふにゃふにゃしているイズナが書きたかったので
満足です(笑)
どうでもいいような話ですが、今回不壊を書きながら、「尽くして〜
泣き濡れて〜そして愛されて〜♪」と、テ●サ・テンの『愛人』を口ず
さんでしまいました(古)『松の木小唄』でもいいけど(もっと古い)