江戸ポルカ U


               〜 12〜


 階下の宴席の嬌声と三味線の音が、閉め切った唐紙越しに
聞こえる。
 不壊は、明り一つない部屋の障子を細く開けた。
 火鉢にようよう温められた空気と、凍りつく外気が忽ち入れ
替わり、息が白くなる。墨色の襦袢一枚の肩が震えた。
 妖にとっては苦にもならない寒さだが、人間の体ではそうも
いかない。不便なものだ。
 羽織るものを探して部屋の中を見回したが、生憎、着物は、
ぐっすり寝込んだ客と一緒に、寝間に置いて来てしまっていた。
 わざわざ取りに戻るのも煩わしい。
 仕方なく、もうひと月近くも吊るしっ放しだった着物を引き
寄せ、羽織った。
 薄紅色の地に、銀糸で刺した雪文様。
『黒ばかりではつまらないだろうから』と、客の一人が持ち込
んだのだ。
 吉原の花魁並みに飾り立てるのが好きな陰間ならば大喜び
するだろうが、いかんせん不壊にはそういう趣味がない。見た
瞬間、箪笥の肥やしならぬ衣桁の埃よけに決定した代物だった
が、寒さに震えているよりはマシだ。
 窓から表通りを眺め下ろす。
 師走もあと数日で終わるというのに、芳町の夜は普段と何ら
変わらない。
 煌々と茶屋の店先には明りが灯り、見世を覗く男たちはひっ
きりなしにやって来て、後を絶たない。
 あちらこちらの窓から、唄や音曲が流れ、若衆と下働きの
子らが走り回る。
 その頭上に、ちらりちらりと舞い落ちる白い欠片があった。
「……雪か」
 不壊は、独りごちた。
 消えた妖たちを追うために芳町に潜り込んで、八ヶ月。初め
ての冬が過ぎて行く。
「寒そうだな、不壊」
 揶揄うような声がして、不壊の目と鼻の先に、ぽうっと人の
拳大ほどの青い火が灯った。
 燭台があるわけではない。行灯も置いていない。不思議な炎
は、ふわふわと宙を浮き、不壊の白い貌を青白く照らした。
 不壊が目を閉じ、開いた。瞳が、紅く色を変えていた。
 ふぅっ、と、炎に息を吹きかける。
 それは酔ったように揺らいだかと思うと、二つに割れた。
 擦り寄って来る炎に、触れてみる。
 熱くはない。ほんのり、温かいと感じるだけだ。
 不壊は言った。
「つまんねェ悪戯なら、他所でやれ。……イズナ」
「酷ェ扱いだなあ」
 部屋の隅の暗がりから声がして、緑色の小さな獣が姿を現し
た。
 鼬のようにも子狐のようにも見えるが、そのどちらでもない。
妖だ。
「寒いだろうと思って、折角気ィ利かしてやったのによ。おい
らは、お前とお前が連れて来たガキの恩人……恩妖だぞ。もう
ちっと大事にしろってんだ」
 長くふさふさとした尻尾を左右に振りながら近付いて来た妖
──イズナは、不壊の前にちょこんと座ると、拗ねたように鼻
をひくつかせた。
 小生意気な仕草だが、言い分は正しい。イズナが導いてくれ
なければ、三志郎も不壊も、あれきり人間界へ戻って来られな
かったかもしれないのだ。
 妖怪城が落ち、長を失った妖の世界は、完全に混乱していた。
 人間界と妖の世界、その二つを繋ぐ道も分断され、出入口す
ら判らなくなった。
 戦意を失ってしまった三志郎を抱え、正人の攻撃から逃げ惑
っていた不壊を出口まで案内してくれたのが、イズナだったの
だ。


                              (続く)


2008.2.8
イズナ再登場〜。
それにしても不壊って黒以外の色が似合いませんな。
ぎりぎり白なら似合いそうですが、基本的にモノトーン系。
現代ならコムサ・デ・モードか……(アルマーニはウエストが
余りすぎるので不可!)