江戸ポルカ U


〜9〜


 忘れられない光景がある。
 黒々とした夜空を照らす、炎の妖。
 赤い雄牛の体と、鳥の首。
 妖が咆哮を上げる度に、炎は火の粉となって、滝のように、
或いは夏の最後を飾る大花火のように流れ落ちた。
 焔斬。
 その姿を見た時、全身の血が湧き立つような興奮を覚えた。
 好事家たちがこぞって妖を欲しがる理由が、少しだが判った
気がした。
 圧倒的な強さ。美しさ。それが、目にした者を惹き付けて離
さないのだ。
 だが、だからといって、人間が妖を好きにして良いというわ
けではない。不壊がそうであるように、妖にも、一人一人、意
思はあるのだ。
 三志郎は言った。
「正人は、俺が止める。あいつがやろうとしているのは、『遊び』
じゃない。本物の戦だ。そんなもの、俺は絶対許せねェ」
「お主の考えは、不壊から聞いて判っている。だが、どうやっ
て戦う?相手は妖の使い手。並の人間では、敵わぬぞ」
「それは……」
 三志郎は口ごもった。
 大天狗の指摘は正しい。何百という撃符を抱えているのだろ
う正人に対して、三志郎が手にしているのは、焔斬一枚だ。
これが戦だとしたら、あまりにも心もとない。
「これを使うが良い」
 黙ってしまった三志郎に、大天狗は懐から取り出したものを
差し出した。
「何だ?これ」
 それは、箱のように見えた。
 大きさは女の掌ほど。艶やかに赤く、表面にいくつか摘み状
のものが付いている。
 どこかで見たことがある──と記憶を辿り、すぐに思い出し
た。重馬と正人が使っていたのだ。確か、不壊は『撃盤』と呼
んでいた。
 そう言うと、大天狗は頷いた。
「撃符から妖を呼び出すための道具だ。お主に、預ける」
「でも、爺っちゃん。俺、撃符なんて1枚しか……」
 ハッと、三志郎は大天狗を見上げた。その目を、大天狗が見
返す。そして、言った。
「今、この城に集まっている妖の数、およそ200。これだけいれ
ば、あの須貝正人にも対抗出来よう」
「爺っちゃん!」
 そのために、妖たちは集められたのだ。三志郎は、愕然とし
た。
「我らがお主の撃符となろう。須貝正人を倒せる人間がいると
すれば、それはお主だけだ。我らは、全てをお主に託すことに
した」
「無茶苦茶だ!」
 叫びが、口を突いて出た。
「撃符になるってことは、自由を奪われるってことだろ!しか
も、撃符も撃盤も、妖のことも、ろくに知らない俺に賭けるっ
てのか!」
「大切なのは、『知っている』ことではない。『知ろうとする』
こと──そして、知って尚、『恐れぬ』ことだ。お主は、焔斬の
ことも、不壊たち個魔のことも、恐れなかったのであろう?」
 焔斬が現れた時は、正人を止めるのに必死で、恐れるどころ
の騒ぎではなかったのだ。それに、不壊のことは、妖云々とは、
また別の話だ。
 だが、それを何と説明すれば良いのだろう。
 迷っていると、大天狗が更に重ねた。
「こうしている間にも、仲間はどんどん撃符にされ、連れ去ら
れている。もはや、手段を選んでいる余裕はないのだ」
「でも、爺っちゃん!」
「須貝正人を止めるのではなかったのか」
 低く厳しい声が、三志郎の言い分を遮った。


                              (続く)


2007.12.23
プラスチックのなかった時代、撃盤は一体何で出来ていたの
でしょうか。漆の塗り箱だったら、すごい高級そうですな…。