江戸ポルカ U


〜9〜


「話し合いなどで片のつく相手ではないぞ。おぬしが勝たねば、
彼奴は止まらぬ。それでも、この撃盤を受け取れぬと申すか」
 三志郎は唇を噛み、差し出されたままの撃盤を睨んだ。
 大天狗が、やや口調を和らげた。
「これは失敗の許されない大仕事だ。おぬしとしても、簡単に
引き受けるわけにはいかぬだろう。無論、ただでやれとは言わ
ぬ」
「……?」
「一つだけ、願いを叶えてやろう。小僧、おぬしは何を望む?
金か?地位か?それとも、名声か?」
 武士になることも出来る。外国で成功して金持ちになりたい
と言うなら、それも良い。
 大天狗の言葉に、しかし三志郎は、首を振った。
「金は要らねェ。身分も名誉も欲しくねェ。でも、もし何でも
叶えてくれるって言うなら、一つだけ、頼みたいことがある」
 ずっと、大天狗に会ったら言おうと思い続けていたのだ。
三志郎は、深く息を吸い込み、言った。
「不壊を寝井戸屋から出してやってくれ」
 予想もしていなかったのか、大天狗の目玉が、ぎょろりと動
いた。
「不壊の仕事は、妖を攫った下手人を探し出し、儂に報告する
ことだった。だが、それをあやつは怠った。須貝正人の傍にい
る、かつての仲間、ウタを庇い、逃がしたのだ」
「判ってるよ」
 大天狗の命令は絶対だ。背けば重罪と知っていて、しかし、
不壊はウタと正人を見逃した。
 その代償として、下手人が判明した今も、不壊は寝井戸屋か
ら離れられずにいる。須貝正人とウタが、仕掛けて来る時のた
めの、囮役だ。
 そのことは、三志郎も不壊から聞いて知っていた。
「でも、正人が戦いたがっているのは、俺だ。俺が撃盤を持っ
たと判れば、あいつはきっと、まっすぐ俺に仕掛けて来る。そ
うなれば、もう不壊は関係ないだろ」
 妖にも、意思はある。
 己れの役目を、不壊は淡々と受け入れているが、好き好んで
陰間になる者などいない。
 それに、一旦は連れ戻された向島から戻って来たのは、一日
も早く蹴りを付けて、不壊を自由にしてやりたいと思ったから
だった。
 三志郎は、撃盤に手を伸ばした。
 手が触れた瞬間、ただの箱と見えていたそれが、どくん、と
一回、大きく脈打つのを感じた。
「頼む、爺っちゃん。この願いさえ聞いてもらえるなら、俺は
撃盤を受け取る。向こうにいる妖たちと一緒に、正人と戦って、
必ず勝ってみせる」
 自分が口にした言葉に、背中がずしりと重くなった。
 何百という妖たちの運命を、自分は背負おうとしているのだ。
 だが、もう躊躇いはない。
 大天狗が言った。
「個魔のために、その身を張るか。小僧」
「不壊は体を張って俺を守ってくれた。だから、今度は俺が、
不壊のために体を張る番だ」
 大天狗が、にやりと笑い、撃盤から手を離した。
撃盤は、三志郎の手に残った。
「よかろう。不壊を今の役目から解く。だが、そのためには、
少々細工をしなければならん」
「細工?」
「不壊を人間として寝井戸屋に潜り込ませるために、いくつか
術を使ったからな。それを解き、寝井戸屋で不壊に関わった人
間たちの記憶を消す」
「そうすれば、不壊はあそこを出られるんだな」
 大天狗は頷いた。
「これについては、儂に任せてもらおう。おぬしは、撃盤の使
い方を……」
 大天狗の言葉が、途切れた。
 三志郎も、すぐに異変に気付いた。
 低い地鳴りのような音と、微かな揺れ。
 地震だろうか。


                              (続く)


2007.12.27
「不壊を嫁にくれ」と言われたら、爺っちゃんはどういう反応を
見せるのでしょうか…。


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