江戸ポルカ U


               〜9〜


 その大妖は恐ろしげな姿をしていたが、同時にどこか懐かし
くもあった。
 妖怪城の主であり、日本に住む妖怪たちの頂点に立つ、妖の
長──大天狗。
 その厳しく引き結ばれていた唇が、ふと、緩んだ。笑ったの
だ。
それを見た時、何故『懐かしい』と感じたのか、三志郎は理
解した。
 多聞亭の、亡くなった祖父に似ている。
 人を見極める時には、目を見て判断するのだと教えてくれた、
厳しいが優しい祖父だった。
 無論、人間である祖父と、妖の大天狗とでは、顔や体つきは
似ても似つかない。
 だが、じっと見ていると、逆にこちらの胸の内を見透かされ
てしまいそうな目と、少ないが故に重みのある言葉を発する口
元が、三志郎に祖父を思い起こさせた。
 一分ほども、見合っていたろうか。大天狗が、漸く声を発し
た。朗々と響くそれは、三志郎と不壊の背後に居並ぶ妖たちを、
低頭させた。
「人間の小僧よ、よくぞ参った。おぬしとまみえるのを楽しみ
にしていたぞ」
「俺と……?俺のこと、知ってるのか?爺っちゃん」
 祖父を思い出したせいで、つい、そう呼んでしまった。大天
狗の脇に控えた妖が渋い顔をした──ように見えた──が、当
の大天狗は気にした風もなく、周囲を取り巻く妖たちを見回し、
命じた。
「済まぬが、皆、席を外してくれ。小僧と二人だけで話がした
い」
 あらかじめ決まっていたことなのか、異を唱える者はなかっ
た。今しがた、三志郎たちが通って来た大部屋へ移ると、二つ
の部屋を隔てる唐紙の前に端座した。
 大天狗の目が、三志郎の背後に立つ不壊に向けられる。静か
だが、有無を言わせぬ口調で言った。
「不壊、お前もだ」
「俺は兄ちゃんの個魔だぜ。俺に聞かせられないような話を、
兄ちゃんに持ちかける気か」
 睨む不壊に、大天狗の口元が、再び笑んだ。今度は、三志郎
にもはっきりと判る、苦笑だった。
「そう尖るな。聞きたければ、小僧から後で聞くがいい」
 どうあっても、三志郎と差しで話がしたいのだ。
 それならそうで都合がいい。三志郎も、大天狗に直接伝えた
いことがあったのだ。
 三志郎は、不壊に振り返った。
「一人で平気だ」
 不壊は、何か言いたげにしていたが、三志郎が頷いてみせる
と、
「好きにしな」
とひと言、背中を向けた。
 衣擦れの音を立て、部屋を出て行く。
 音もなく唐紙が閉まり、部屋には、三志郎と大天狗の二人だ
けになった。
 部屋の中を、三志郎は見回した。装飾が一切ない。そんなと
ころも、祖父を思い出させた。押しも押されぬ大店の主であり
ながら、質素な生活を好み、隠居部屋にも余計なものは一切置
かない人だった。奉公人の部屋の方がまだしも楽しげだと、幼
い三志郎も思ったくらいだ。
 だが、飾りのないただの空間は、そこに居る者のありのまま
の姿を見せる。
 大天狗からは、落ち着きと威厳、そして、何か大きな、抗い
がたい力が感じられた。
「変われば変わるものだ」
 ふと、大天狗が呟き、三志郎は向き直った。
「誰の……不壊のことか?」
 その問いには答えず、大天狗は「さて」と切り出した。
「小僧。三志郎といったか」
「ああ。爺っちゃんは『大天狗』って呼ばれてたよな。長って
ことは、偉いのか?」
「偉いかどうかは知らぬが、この世の妖たちを守るのが、儂の
役目だ。日々妖たちが恙無く暮らせるように、心を配り、侵入
しようとする輩がいれば防ぐ。何者かに拉致された妖がいれば、
助け出し、連れ戻す」
 三志郎は、何故自分がここへ連れて来られたかを悟った。
「正人のことを言っているのか」
 その名を口にした途端、胃の腑の底が、ぞわりと騒いだ。恐
怖ではない。怖くないと言ったら嘘になる。正人──須貝正人
は、妖を自在に操り、町場を壊し、あまつさえ人を殺そうとま
でした男だ。
 だが、三志郎の中にあるのは、恐怖ではなく、むしろ興奮だ
った。


                              (続く)


2007.12.19
大天狗を兄ちゃんが『爺っちゃん』と呼ぶのが好きなのです。
大天狗も、孫みたいに思ってるのかな。
兄ちゃんって、年寄りに好かれるタイプですよね。