江戸ポルカ U


〜8〜


             ×  ×  ×


「年末年始に、うちの神社のお手伝い……ですか?」
 妖を祀る社から出て来た清は、きょとんと首を傾げた。拭き
掃除の途中だったらしく、雑巾を掴んだままの指が赤い。
「う……うむ」
 修はコホンと一つ、咳払いをした。
 情けない話だが、こんな時、一体何をどう言えば良いのか、
とんと見当もつかない。学問所の師匠相手に論語を暗誦してみ
せるのとは、わけが違うのだ。
 要は、少しでも清と親しくなる口実が欲しいだけなのだが、
まさか面と向かってそう告げるわけにもいかない。
 厳格な父の耳にでも入ったら、剣術も学問も駆け出しの若造
が、女子にうつつを抜かすとは何事だと、大目玉を食らいそう
だし、何より、何と軽い男だと清に呆れられそうで怖い。
 ここは一つ、筋の通りそうな大義名分を掲げて──と悩んだ
挙句に思いついたのが、先の『大晦日の手伝い』なのだった。
 腹の底に力を入れ、修は切り出した。
「ここは町中ゆえ、参拝客もさぞかし多いだろう。除夜の鐘を
撞きに来る連中が酔って悪さをせぬようにだな」
「あのぅ、うちは神社だから、鐘はありません」
「……そうだったな」
 頭上で、カアと烏が一声、鳴いた。
「いや、そう……そうだ!年が明ければ、宮司殿は火を焚いて
加持祈祷に入られるのだろう?君一人では、何かと人手が足り
なかろうから」
「ご年始の加持祈祷は、お寺のお仕事ですね」
 また烏が鳴き、修は半ば口を開けたままで固まった。
 駄目だ。喋れば喋るほど、墓穴を掘っている気がする。
 清がクスッと忍び笑うのを聞いて、修は掘った墓穴に飛び込
みたくなった。
「……すまない。出直して来る」
 背を向けようとした修を、慌てて清が呼び止めた。
「ごめんなさい、笑ったりして。いつも真面目な顔してる修くん
が、おろおろしてるのが、ちょっと可笑しかったものだから……
心配してくれて、ありがとう」
 にっこりと微笑み一揖した清に、では申し出を受けてくれるの
かと喜びかけた修だったが、
「でも、大丈夫」
という返事で打ちのめされた。
「うちのお世話役をして下さっている瓢屋さんから、人手を貸
して頂けることになってますから」
 『瓢屋』といえば、三志郎が奉公している料理屋だ。
 修は父が贔屓にしている店が他にあるため、行ったことがない
が、たいそう美味い料理を出すと評判らしい。
 瓢屋ほどの大店なら人手などいくらでもあるだろうから、誰
を差し向けるかなど判らないが、それでも修の心は穏やかでは
ない。
「その、あいつも……三志郎も、来るのか?」
「三志郎くん?ええ、多分。知らない人が来るよりも気安いだ
ろうからって、与兵衛さんが気を使って下さってるみたい。
どうしたの?修くん。怖い顔して……」
 清が眉を寄せたが、ろくな返事も出来なかった。
 また、『三志郎』だ。
 思えば、清と初めて会った大祭の日から、清は何かと三志郎
を頼りにしていた。
 夏の妖失踪事件の時だってそうだ。清が最初に相談を持ちか
けたのは三志郎で、修のところに話を持って来たのは、『三志
郎くんに相談したら、修くんにもお願いした方が良いって言わ
れた』ためだった。
 年上で、学問所でも常に首席で、家柄も申し分ない自分では
なく、清は三志郎のことを──。
「修くん」
 また、呼ばれた。修は顔を上げた。
 このままうやむやにして引っ込むくらいなら、一度はっきり
させておいた方がいい。
「清、聞きたいことがあるんだが。君は、三志郎のことが……」
 好きなのか。
 その問いが、宙に浮いた。
 清は、修を見ていなかった。夏に、華院重馬を追い詰めた時
と同じ、険しい表情を浮かべ、妖社殿を睨んでいる。
 清の緊張と、そして、異変の匂いを、修も感じ取った。
 何かが、急速に近付いて来ている。足元から這い上がる、冬
の寒さとは全く別の冷気。
「修くん、逃げて」
 清が言った。目の前にいるというのに、どこか遠い世界から
の声のように、修には聞こえた。
 実際、清の目には、修には見えない異世界が見えているのか
もしれない。
 修はごくりと喉を鳴らした。いつの間にか口の中は干上がり、
唾一滴出て来なかった。
「何を、言ってるんだ」
 やっとの思いで、それだけ言った。
『お前を置いて行けるわけがなかろう』。そう言ってやりた
いのに、乾いた舌は震え、言葉にならない。
 ──怖い。
 今まで感じたことのない恐怖が、押し寄せて来る。
 清が雑巾を地面に投げ捨て、叫んだ。
「逃げて、修くん!早く!」
 どん、と突き飛ばされ、修は地面に転がった。
 清が顔を振り上げ、社の階段を駆け上がった。半開きの扉を、
大きく開いた──瞬間。
 大地が揺れた。
 清が悲鳴を上げ、階段の上で膝をついた。
「さやか!」
 動けない。立ち上がろうとすると、揺れと恐怖が足腰を震わ
せ、また修は地面にへたり込んだ。
 ピシッ、と、何かがひび割れる音がした。
 ──柱が……
 社殿を支える柱に、亀裂が入っていた。見る間に柱を割り、
屋根のすぐ下まで迫る。
「わらしさま……!」
 清が、社の中に向かって呼びかけた。必死に立ち上がろうと
する彼女の上に、ばらばらと木片が降りかかる。
 崩れる、と思った時だった。
「清!」
 黒い影が飛び込んで来て、清を庇うように広がった。次いで、
「修殿!」
無我の声がして、修の視界は墨で塗りつぶしたように、真っ黒
になった。
 社殿の崩壊の音はせず、清の声も聞こえない。
 何も見えず、聞こえない空間の中で、修はただ、がたがたと
震えながら蹲っていた。


                              9へ続く


2007.12.15
修はヘタレですが、まだまだこれから、これから。
清ちゃんは、強くて逞しい子だと思います。
そういえば「せからしか!」の意味をひかるさんに聞いて、
九州弁ってかっこいいなあと思いましたvvv