江戸ポルカ U


                 〜8〜


「あら」
 黒いドレスに身を包んだ女が、声を上げた。
 今にも雪が降り出しそうな曇天の午後、骨の髄まで凍らせる
風が、江戸轟神社の境内を吹き過ぎる。
 だが、その風よりも、女の声は更に冷たかった。
「あんたがどうして、こんな所にいるのかしら」
 尊大にも聞こえる口調で、女は参道に立つ浪人に向かい、尋
ねた。知己に会ったというのに、白く小さな顔には笑顔の欠片
も浮かばない。
 浪人は低く静かな声音で応えた。
「修殿が、こちらの神社に御用があると申された。拙者は……」
「そのお供ってわけね。神社じゃなくて、巫女に用があったん
でしょ。はっきり言いなさい」
 咎められ、浪人は黙って目を伏せた。どうやら図星だったら
しい。女は、ゆっくりと浪人の方へ歩み寄った。ドレスと同じ
黒繻子の靴が、石畳で音を立てる。
 異国の女と、長身で体格の良い浪人の組み合わせは、目立つ
ことこの上ない。参拝の客が、目を丸くして通り過ぎて行く。
 女はナミ、浪人は無我だった。
 無我の片割れである里村修が、ナミの片割れである清に対して
仄かな恋心を抱いていることは、子供たちの間でも、その個魔の
間でも、公然の秘密となっている。それだけに、ナミのあしらいは
手厳しい。
「清は子供だけれど、立派に江戸轟神社の巫女よ。あの子に近
付くというのがどういうことか、あんたのところのお坊ちゃまは
判ってるんでしょうね」
 言いながら、ナミは無我の腰の大小をちらりと見た。その目
を誤解したらしい。無我は言った。
「確かに、罪穢れを嫌う巫女に、血生臭い殺生沙汰はご法度。
しかし、修殿は無闇に刀を振るうような御方ではござらぬ。剣
術の鍛錬は日々怠りなく続けておられるが、刀を抜かずに済む
のならば、そのようにと」
「違うわ。私が言ってるのは、そういうことじゃない」
 皆まで言わせず、ナミは遮った。
「清を、そこら辺の『箱入り巫女』と一緒にしないで頂戴。
……土地の荒ぶる気を鎮め、流し、清め、その土地に繋がる
妖たちを慰め、奉る。それが妖神社の巫女の役目よ。使命の
ためなら、清は血生臭い真似だって厭わない。刀を抜かずに済
むなら、なんて甘っちょろいことを考えているようじゃあ、と
ても清を任せられないわ。それどころか、あの子と対等に付き
合うことすら、出来ないでしょうね」
「そういうことならば」
 得心したように、無我は頷いた。
「心配には及ばぬ。拙者が言いたかったのは、修殿は無用な殺
生を好む方ではないということだ。いざという時は、迷いなく
刀を振るわれる──心の強い御方だ」
 ナミは、つんと横を向いた。
 無我を信じないわけではないが、あの修という少年に、そこ
まで度胸があるとは思えない。頭の良い子供にありがちな、過信
に陥っている節がある。それが気になっていた。
「本当にそうなら、いいんだけど……!」
 呟いた時だった。
 ずしん、と何かが大地を突き上げるような衝撃があった。
悲鳴が上がり、境内の参拝客が、次々によろけ、膝をついた。
「地震?……違う!これは……」
 ナミは周囲を見回した。まっすぐに伸びた参道は、正門を隔
てて表通りに続いている。
 境内の外にいる人々は、まるで揺れなど感じていないようだ
った。普段どおり、忙しなく師走の町を行き交っている。
 地震ではない。だとしたら──。
 無我が叫んだ。
「いかん!修殿!」
 身を翻し、走り出す。向かっているのは、本殿の裏手──妖
を奉じるために作られた、専用の社だった。
「待って、私も行くわ!」
 長い裾をつまみ、ナミも駆け出した。
 清と修がいる筈の場所から、どす黒い、禍々しい気が噴き上
がるのを、はっきりと感じる。
 それは忘れもしない、この夏、竜巻に撃符妖怪たちを奪わ
れた、あの時感じたものと、同じ気配だった。


                              (続く)


2007.12.12
お待たせいたしました(…待ってて下さっている方がいれば…
の話ですが(汗))オンライン連載復活致しました!
ナミさんに「あんな若造に、うちの清はやらん!」とか言わせて
みたかった。