江戸ポルカ U


〜6〜


「待っててください、亜紀!君に渡したいものがあるんです!」
「渡したいもの?つまんない物だったら承知しないんだからね」
「ノンノン!今パリの女の子の間で大流行してる物です。今、
取って来ます!」
 船に駆け戻って行くミックと、腕組みで待つ亜紀を横目に、
個魔二人は、雑踏から少し離れた。
「新しいパートナーが見つかって、良かったわね」
 ハルが微笑むと、デコは満面の笑みで応えた。
「ええ。センチメンタル・ジャーニーの最中にミックさんに出
会えるなんて、神様も粋な計らいをなさるもんです」
 デコは半年ほど前に、以前のパートナーを亡くしたばかりだ
った。太鼓持ちのような言動から、個魔仲間からは軽く見られ
ているが、その実、人一倍もとい妖一倍、情が深い男だという
ことを、ハルは知っている。
「また動き出したそうで」
 唐突にデコが言い、ハルは旧友の横顔を見上げた。いつもの
薄ら笑いは見当たらない。それほどに、事は重大なのだ。
「ギグからは、どこまで聞いたの?」
「最近の三つの火事と、そこから行方知れずになった妖たちの
ことは聞きました。鎌鼬の雷信が、わざわざ江戸までやって来
て、不壊に手を貸してくれるよう頼んだことも。しかし、不壊
は渋っているそうでやんすね」
「ええ。気持ちは判らないでもないのだけれど」
 うんにゃ、と、デコはこの男にしては難しい顔をした。
「わちきに言わせてもらうなら、過保護の極地でげすよ。子供
は叩かれて強く育つもの。それをいちいち心配していたら育つ
ものも育たなくなるってもんで……」
 ぱぁん、と盛大な音がして、デコとハルは振り返った。ミッ
クが、亜紀に張り倒されたところだった。
「ああっ、うちのミックさんが!ミックさん!大丈夫でげすか!」
 すっ飛んで行くデコの背中に、
「デコも人のことは言えないみたいね」
苦笑したハルの頬が、凍り付いた。
 何かが、近付いて来ている。
 ミックを抱き起こそうとしゃがみ込んだデコも、四方に目を
走らせる。同じものを感じているのだ。
 いつの間にか、空気が変わっていた。
 冷たい。ハルは自分で自分の腕を抱いた。冬の寒さではない。
露骨な悪意だ。殺意と言ってもいい。
 それが、近付いて来る。北風に紛れ、江戸の町を、賑わう通
りを、町屋の隙間を、瞬く間にこちらへと近付いて来る。
「亜紀ちゃん!」
 ハルは駆け出した。野次馬を掻き分け、亜紀に近付く。
 あと、もう少し。あと一間(約1.8メートル)ほどで、亜紀に
手が届く。何も知らない亜紀が、ぽかんとこちらを見ている。
「ハル?急に、どうしたの?」
「亜紀ちゃん、伏せて……!」
 その声が、女の悲鳴に消された。
 鋭い風が、人々を襲う。誰もが頭を抱え蹲ろうとした、その
時だった。
 ワン!とひと声、犬が鳴いた。
「シロ!」
 訳も判らないまま、頭を抱えようとしていた亜紀が叫ぶ。
吠えたのは、家にいる筈の愛犬シロだった。
 頭上の何かに向かい、シロは一心に吠え立てている。
「お前、どうしたのよ。シロ?」
 風が、止まっていた。空気の冷たさは変わらないが、上空の
『何ものか』は、明らかに怯んでいる。
「通して!通してください!」
 人垣を抜け出し、ハルは亜紀の手を掴んだ。
「亜紀ちゃん、良かった!」
「どうして、シロがこんなところに……まさか……!」
 血相を変えたハルと、歯を剥き出し唸るシロの様子から、亜
紀はすぐさま事態を飲み込んだらしい。怯えるどころか、果敢
に上空を睨み上げ、尋ねた。
「あいつなの?清の神社から撃符を奪って行った、あいつが来
てるの?」
「亜紀ちゃん、あのね……」
 ワン!と、もうひと声シロが吠え、ハルは頭上の『何ものか』
が消えて行くのを感じた。
 知らず、ほっと息が漏れる。
 やっと目を覚ましたミックを脇に抱えるようにしながら、
デコも立ち上がった。
「こりゃあ、さっさと手を打った方がよさげでげすなあ」
 シロが嬉しげに尻尾を振り、亜紀に走り寄って来る。
 亜紀の手を握ったまま、ハルはゆっくりと頷いた。


                             (7へ続く)


2007.11.17
いっぺん、誰かに不壊のことを「過保護」と言わせてみたかった
…念願かないました。でもまさか、デコに言われるとは、不壊も
思わなかったでしょう…私も意外でした(笑)