江戸ポルカ U


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 舶来品を載せた長崎からの船が入ると、隅田川河口の船着場
は、降りて来る人と荷と、それを迎える人々とでごった返した。
 花火見物もかくやという騒ぎの中で、どうやって見つけたも
のだろう。渡し板を踏んで悠々と船から降り立った少年は、一度
聞いたら忘れない、きゃんきゃんと耳に障る声で叫んだ。
「オー、マイ、スイート、プリンセース!亜紀!」
 恥ずかしげもなくぶんぶんと両手まで振り回している。
 橋町の呉服問屋『日野屋』の一人娘、亜紀は、げんなりと肩
を落とした。
「ちょっと、大声で呼ばないでよね……」
 あらあらと困ったように、亜紀の傍らで黒振袖の女が微笑む。
「亜紀ちゃん、折角新しい着物を着て来たのに、そんな顔して
たら台無しよ?」
 亜紀は白い鈴蘭が目に鮮やかな千歳緑の振袖姿だった。長い
袂を翻して、女──ハルを見上げると、不機嫌丸出しの顔で言
う。
「だから怒ってんのよ!折角のお披露目だってのに、何が悲し
くてこんな奴と会わなきゃなんないの?」
「それは、彼が乗って来た船に、日野屋さんが仕入れた反物が
載っているからじゃないかしら?」
 亜紀は「そんなの判ってるわよ」とそっぽを向いた。
 そうなのだ。
 今、亜紀たちに近付いて来ようとしている偽物臭い金髪の少
年、川口屋幹春ことミックは、何隻もの菱垣廻船、樽廻船を抱
える廻船問屋の息子である。
 そして、亜紀の実家である日野屋は、川口屋の船を使って、
呉服にする反物を仕入れている。いわば、川口屋にとっては
お得意様だ。
 亜紀は、店の仕事が忙しい父母に代わって、手代二人とハル
を連れ、今年最後の荷受にやって来たのだった。
 旅先の仏蘭西で買ったものらしい、真新しい洋装に身を包ん
だミックは、亜紀の前に立つと、芝居がかった仕草で身を折っ
た。
「亜紀、相変わらずチャーミングだね。君がこの僕をわざわざ
迎えに来てくれるなんて感……」
「あんたは相変わらず茄子顔ね」
 容赦なくガツンと打ち返し、亜紀は腰に両手を当てた。
「いい?言っとくけど、私は別にあんたを迎えに来たわけじゃ
ないの。父さんと母さんに頼まれて、仕方なく荷受の立会いに
来ただけよ。さあ、忙しいんだから、ちゃっちゃと荷を改め
させてもらうわよ。卯吉、亥助、お願い」
 利発で勝気なお嬢さんに命じられ、手代たちが慌てて船荷の
山にすっ飛んで行く。
「いやいや、手厳しいでげすなあ」
「誰?」
 聞き慣れない声に、亜紀は目を眇めた。
 まだがっくりと肩を落としているミックの後ろに、いつの間
にか黒い人影が立っていた。
「ですが、ミックさんから聞いていた通り、お可愛らしい。
日野屋の亜紀お嬢さん?」
 異人の男だ。緑色の長い髪。目は細く、お狐様みたいに吊り
上っている。顎は尖り、猫背気味で、何だか腹に一物も二物も
ありそうな小狡い感じがするのだが、広すぎる額と、風邪を引
いた時のような赤っ鼻が、男を愛嬌のある顔にしている。
「お久しぶり。元気そうね、デコ」
 ハルが言い、亜紀は驚いて振り返った。
「知り合いなの?」
「ええ、大分昔からのね。彼はデコ。私たちと同じ、個魔の
一人よ」
 デコは亜紀の方に身を屈め、「よろしく」と笑った。そう
すると、狡っからい印象が薄れ、意外にとっつきやすい顔に
なった。
「あんたさんも元気で何よりでげすよ、ハル。ああ、そうそう、
ミックさん。確か、亜紀さんにお土産があったんじゃありませ
んか?極寒のシャンゼリゼ通りで、1時間も並んで買ったんで
しょう?」
 デコの言葉に、「そうでした!」とミックが勢いよく顔を上
げた。


                              (続く)


2007.11.14
はい、デコ&ミックペア初登場〜〜〜です。
意外にデコが書きやすいことに気が付きました(笑)