江戸ポルカ U


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 三志郎は戸惑っていた。
 目の前に立つ男は、出て来たのが三志郎本人であることを確
認したきり、ひと言も口をきかない。身じろぎ一つしない。そ
れどころか、先刻から目玉も動いていない気がする。気味が悪
いことこの上ない。
「あのう、寒いんだけど……。用件、何?」
 尋ねたが、男の顔に変化はない。
 三志郎は溜息を吐いた。
 男が訪ねて来たのは、煤払いの翌日、普段の倍増しで働かさ
れ、普段より一刻(約二時間)以上も遅い夕食を終えて、さて
大急ぎで終い湯に駆け込むかという刻限だった。
 ほとほとと静かに表戸を叩く音がして、
「こちらに三志郎という少年はいるか」
と声がしたのだという。
 対応に出たのは一番若い手代だった。
 診療所でもあるまいし、こんな非常識な時間に料理屋を訪ね
る者などまずいない。しかも、用心のために小窓から外を覗く
と、立っていたのは、見たこともない顔の男だった。
 年の頃は、はっきりとしない。二十五、六ほどのようではあ
るが、見ようによっては、四十、五十にも見える。 
 行商人のようにすっぽりと頭に手拭いを被り、痩せた体に着
ている物といえば、何度も水をくぐらせたような縞の木綿物。
一目で、瓢屋の客ではないと知れる相手だ。
 やんわりとお断りしてお引き取り願うことも出来たのだが、
手代もさっさと風呂に行きたかったのだろう。
 三志郎の名前が出たのを幸い、客を勝手口に回らせて三志郎
を連れて来ると、早々に自分は中に入ってしまった。
 そうして、三志郎は一人、寒さに耐えながら見知らぬ男と向
き合っているのである。
 見れば見るほど、瓢屋にはそぐわない風体だった。それくら
いは、駆け出しの三志郎にも判る。
 客として来たわけでなくとも、出入りの行商人などで、言葉
を交わしたことがあるのではないか、と、記憶をひっくり返し
てみたが、やはり覚えがなかった。
 一体、この男は誰だろう。
 何の用があって、こんな時間に三志郎を訪ねて来たのだろう。
 その時、町屋の上を滑っていた木枯らしが、突如、庭先を吹
き抜けて行った。
「うわ、寒っ」
 ぶるりと身震いし、妙なことに気付いた。
 男は、真冬だというのに丹前も着ず、袷一枚だった。にも関
わらず、まるで寒さを感じていないように見える。今の木枯ら
しにすら、びくともしていない。
 ──人間ではないのか。
 三志郎は、身構えた。薄い草履の下で、砂利が音を立てる。
「……お前、何者だ?」
 不意に、男の色の悪い唇が動いた。
「……ま」
「え?」
 よく聞き取れない。三志郎は、男の方へ少し身を乗り出した
──刹那、男が豹変した。
 頭を覆う手拭いが落ち、白く煤けた髪がばらりと落ちる。そ
の間から、金色の目が二つ、三志郎を見据えていた。
 微かに何かが砕けるような音がして、見ると、男の顔面に、
網の目のようにひびが入っていた。ぱらぱらと、乾いた皮膚が
剥がれ落ちる。


                             (続く)


2007.11.7
兄ちゃんピーンチ!
ところで最近、急に寒くなったせいか、私の肌も↑が笑えない
状況なんですけど…(涙)