江戸ポルカ U


〜2〜


「燃えたのは無人の家や社ばかりで、人死には出なかったと聞
いたが」
「下手人の狙いは、人間ではなかったようです」
 人間ではない、ということは。
 後をギグが引き取った。
「また、妖が消えた」
「……聞いていないぞ。そんな話は」
 毎日のように不壊の元を訪れていた『影』だが、ここ数日、
姿を見せていなかった。だから火事の話も、不壊は茶屋の客か
ら聞いたのだ。
 そんな事件が起きていて、何故不壊に伝えなかったのか。
訝しんでいると、ギグが言った。
「火事の状況を探ろうとした『影』の一人が、消されたそうだ」
「何……?」
 耳を疑った。
 影は伝達役だが、情報を確実に持ち帰るため、身を護る能力
は高い。反撃することはないまでも、逃れることは出来た筈だ。
 それが、消された。
「ナミと無我が今、探りを入れているが、まだ手を下した奴は
判っていない。ひとまず『影』全員、城に引き上げている。暫く
はここにも来ないだろう」
 なるほど、それで雷信が芳町くんだりまで足を運ぶ羽目にな
ったのだ。
「それで、いなくなった妖ってのは?」
「飛鳥山で焼けた茶屋は、老婆に化けた『姥ガ火』が営んでい
た店です。暗闇坂の稲荷には『華乃狐(かのこ)』が奉じられて
いました」
「押上は?」
「屋敷の主、西尾隠岐守は、殆ど江戸市中の上屋敷にいて、
押上村の下屋敷に帰ることは滅多にありませんでした。そこで
主がいないのをいいことに、留守居役が小金を稼ごうと企んだ
ようです」
「賭場か」
「お察しの通り」
 この時代、大名といえど台所事情は苦しい者が多く、その下
に雇われている者たちは貧乏長屋の住人とさして変わらない生
活をしていた。江戸に住んでいるならまだ内職口もあろうが、
お勤めで地方から江戸に出て来ているとなると、そうはいかな
い。細々とした仕事に追い回され、内職どころの騒ぎではなか
った。
 少しでも手にする金を増やそうとした彼らが考えたのが、空
いた屋敷の部屋を賭場として貸し出すことだった。
 賭け事は表向き禁止だが、唸るほど金を持っている商家の旦那
衆などは、人目を忍んで夜毎賭博に興じている。
 人目につかず、また、万が一出入りを見咎められてもあれこ
れ詮索されずに済む、という点で、空き家同然の下屋敷は賭場に
うってつけだったのだ。
「火事のあった晩は、金の代わりに、例の華院が流した撃符が
賭けられていたそうです。封じられていたのは、『間鎚』でした」
「どう思う?不壊」
 ギグの問いに、不壊は、ふんと鼻を鳴らした。
「どうもこうも、俺のところに来たってことは、お前も予想は
ついているんだろ?……あいつしかいねェよ」
 生まれてから一度も日に当たったことがなさそうな、白い肌
の、儚げな風情の少年を、不壊は思い出した。
 ウタと共に夏の夜の中に消えた、あの少年の名は──、
「須貝正人……」
 呟いた口の中が、苦かった。
 もし、正人が江戸市中に舞い戻っているなら、三件の火事は
間違いなく彼の仕業だ。動かされた妖は、炎輪あたりか。
 苦い唾液を洗い流すように、不壊は自分の盃に注がれた酒を
一口、含んだ。樽廻船でたっぷりと波にもまれ、杉の香りが移
った伊丹の下り酒だった。上客であるギグの好みで、冬だとい
うのに熱燗ではなく、氷雪できりりと冷やされている。


                               (続く)


2007.10.27
不壊が酒飲んでるところを書いたのは初めてですね。
アニメ版不壊は、ざるっぽい…というか、枠っぽいです。
(『枠』=ザルの目すらない。素通し状態の大酒飲みのこと)