江戸ポルカ U
2
しゃらーん。
完全に陽が落ちた芳町に、幾つもの鈴が鳴り響く。
しゃらーん。
客を呼び込む若衆の声。
籬に群がる男たちの歓声。顔、顔、顔。
ただの冷やかしもいる。眩しげに陰間を見上げ、行きつ戻り
つしながらも、懐具合が悪いのか溜息交じりに帰って行く者も
いる。見知らぬ相手を捕まえては「あの陰間はね……」と訳知
り顔に囁く者もいる。
それらを横目に、悠然と茶屋の暖簾をくぐるのは、今年も笑
って年を越せそうな旦那衆ばかりだ。
商い上手なのか、それとも金に汚いのかは判らない。判らな
いが、そんなことは妓楼にとってはどうでも良いことだった。
酒も料理も気前よく頼み、決まりごとを守って品よく遊んで
くれること。
金払いが綺麗であること。
これが、遊里における『良い客』の条件なのだ。
今夜、芳町の陰間茶屋『寝井戸屋』の三階に上がった異国人
も、そういう意味では極上の客であった。
悪酔いして暴れることもなく、いつも花魁相手に静かに飲ん
で、時間が来れば愚図ることなく帰る。
一晩買い切れば五両は固い花魁を平然と買い切ることもしば
しば、無論、茶屋への心付けも欠かしたことがない。
その上、金髪に緑眼、彫りの深い顔立ちの男前と来ている。
商売柄、異国人も美男も見慣れている陰間や芳町芸者たちだが、
その異国人が六つ丁子の暖簾をくぐって現れる度に、俄かに色
めきたった。
しかも──今夜は更にもう一人、初会の客が同行していた。
こちらは異国人ではなかったが、これまたいい男ぶりの若侍
だった。左頬から顎にかけて雷の如き傷痕があるが、それが整
った顔に野性味と、研ぎ澄まされた刃のような色気を添えてい
る。
さて誰が呼ばれるかと、張り見世もそっちのけでそわそわと
化粧直しばかりしていた陰間たちだったが、結局、呼ばれたの
は今夜もまた花魁一人きりだと聞いて、がっくりと肩を落とし
た。
半年ほど前に突然やって来て、忽ち一番手に登りつめた、銀
髪の陰間。花魁とは名ばかりで、歌も踊りもろくにしやしない
くせに──と、内心悪態を吐いている者も少なくないが、妓楼
の世界は客の数と動く金額が全てだ。太刀打ち出来るわけもな
い。
舌打ちをしながらも、陰間たちはそれぞれ目の前の商売に戻
った。
「珍しいじゃないか、お前が里に降りて来るなんて。雷信?」
尾羽を広げかけた孔雀と緋牡丹を描いた屏風を背に、不壊は
今夜の客を迎えた。ギグと並んで腰を下ろし、雷信と呼ばれた
若侍が軽く低頭する。
「お久しぶりです」
潜入先が陰間茶屋と聞いて、少なからず予想はしていただろ
うが、それでもこの不壊の姿には面食らったらしい。上げた鋭
い目元に、幾分戸惑いがあった。が、それもギグが話を切り出
すまでのことだった。
「鎌鼬兄弟の長兄自ら、ここまで足を運ばねばならない事態が
起こったということだ」
ギグの台詞に、雷信の顔が引き締まる。膝の上で軽く握った
拳に、力が篭るのが判った。
「数日前に、飛鳥山と暗闇坂、押上村で起きた火事の件を、ご
存知ですか?不壊」
応えかけて、不壊は口を噤んだ。軽く片手を翳し、雷信を制
する。
ほどなく、
「おやかましゅう」
障子戸が開き、酒と先付を載せた膳が運ばれて来た。新部子が
酒を注ぎ終えるのを待ち、不壊は言った。
「あとは俺が適当にやる。料理も呼ぶまで運ばなくていい」
「かしこまりました」
障子が閉まる。階段を降りて行く足音を確かめ、不壊は雷信
に向き直った。
「知っている」
「では、あれが付け火だったということも?」
「付け火?」
不壊は細い眉を顰めた。
(続く)
2007.10.23
雷信さん登場〜。若侍の格好させたら似合うんじゃないかと!