彼と彼の領域 U



                × × ×

「私は四歳の時から、母の弟に当たる叔父の家で育てられま
した」
 一度腹を決めてしまえば、あとは迷わないたちなのか、落ち
着いた様子でまなみは話し始めた。
 ココの異変に顔色を変えたトリコも、壁に背を預けて座り込
み、おとなしく聞いている。
「両親のことは、何も覚えていません。だから、私が知ってい
ることは、叔父や義叔母から聞いたことです。
父は私が生まれてすぐに事故で亡くなり、一人で私を育ててく
れていた母は、それから四年後、仕事に出たきり行方が判らな
くなりました。近くに住んでいた叔父は、警察に捜索願を出す
だけでなく、個人的にも随分手を尽くして探してくれたようです
が、結局、母は見つかりませんでした。見つからないように隠
れているのか、それとも……死んでしまっているのか、いずれ
にしても、もう会えないだろうと、周りも私も諦めていました。
それが、半年前、私が叔父の家から独立して一人暮らしを始
めた頃のことです。引っ越し先のアパートの前で、女の人と
すれ違ったんです」
「女の人?」
「はい。四十代くらいかな、ほっそりして綺麗な人でした。彼女
のことがずっと頭から離れなくて……悩んでいるうちにこちら
のことを聞いて、それで相談に来たんです」
 黙っていたトリコが、突然、割って入った。
「人間の半分は女だろ。一度家の前を通っただけの女が、どう
してそんなに気になるんだ?」
「トリコ」
 慌ててココは飼い犬を咎めた。
 この仕事の基本は、まず相手に喋らせることだ。
 一度話の腰を折られると、それきり貝のように口を閉ざす
依頼人も少なくない。
 しかし、まなみは微笑を浮かべ、首を横に振った。
「いいんです。そのコの言うとおりですから。一度、ただすれ
違っただけで済んだなら、私も気に留めなかったと思います」
「て、いうことは──」
 また何やら言いかけたトリコの口を左手でふさぎ、
「気に留めないでください」
ココは先を促した。
「……最初に彼女を見た夜、だったと思います。夢を見ました。
詳しい内容までは覚えていません。
ただ、彼女が出て来ました。目が覚めて、気が付いたんです。
私は、多分、彼女を知っているんだって」
 本人が覚えていなくとも、強烈な夢はそのまま残ってしまう
ことがある。
 もしかしたら、先刻見えたのは、その時の夢なのかもしれな
い。
 あるいは、過去に実際に起きた出来事の、記憶か。
「それに、一度だけじゃないんです。彼女の姿を見たのは」


                            (続く)



2010.3.14
ホワイトデーだというのに、生臭い話ですみません。