彼と彼の領域 U


「見ようと思えば。当人の許可なく勝手に見たりはしません。
それに、悩みそのものが見えるとは限らない。人の心は複雑だ
からね」
「隠そうと嘘をつく、ってこと?」
「僕に見えるのは、切れぎれになった映像の断片なんだ。
脈絡のない、夢のようなものだと思ってくれればいい。夢を見た
本人ですら、説明がつかないことがあるように、僕が見るものも、
それだけでは何を意味するか判らないことも多い。だから、話を
聞くんだ。見たものを、もう一度組み立て直すために」
「何だか占い師っていうより、探偵みたい」
 くすっと笑いが漏れた。
「そうだね。がっかりしたかな」
「ううん。どっちかといえば、安心した。何も言わなくても全部
お見通し、なんて言われたらちょっと怖いし、かえって胡散臭
いじゃない?」
 ココは苦笑した。的中すれば良い占い師、というわけでもな
いらしい。
 この辺りは『占い通り』と言われるほど、占い屋がひしめい
ているが、驚異的な的中率を標榜している店も多い。まなみの
基準では、半数はふるい落とされることになる。
「『見て』もらえますか。その後で、お話しします。私がどう
して、ここに来たのか」
 楽しい恋の悩みでないことは判ったが、とにかくココは承諾
した。『見』なければ、何も始まらない。
「そのまま、椅子に深く座って。楽にしてください。相談事を
思い浮かべてもいいし、何も考えなくても結構。目も、閉じて
も閉じなくてもいい」
「……はい」
 神妙な顔つきで、まなみが目を閉じる。
 視界の端で、のそりとトリコが身じろいだが、構わずココは、
見ることに意識を集中した。
 『まなみ』の輪郭がぶれて、背景に溶けた。周囲の音が砂嵐
のようなノイズに変わり、そして、無音が訪れる。
 来る。
 ココが身構えた途端、『それ』は見えた。
 まず、二本の足だった。細く、小さい子供の足だ。爪先の丸
い、赤い靴を履いている。
 上から見下ろしているということは、その子供の視点なのか。
 足は、じっと立ったまま動かない。
 そこに、じわじわと押し寄せるものがあった。赤黒い、液体
だった。
 見る間に床に広がり、靴底を浸してゆく。赤に飲まれる赤。
 何だ、これは。
 視界が動いた。クリーム色の壁に、飛び散った赤い飛沫。
 ビシャリと音がした。
 女がいた。三十前後の、少々婀娜っぽいが綺麗な女だ。緩く
波打つ髪を束ね、白いシャツブラウスを着ている。
 女が、こちらを向いた。目元が少し、まなみに似ている。
 紅い唇が動いた。
 ──全部、見ていたの?
 その胸に、ぱっと赤が広がった。血の赤い花。
 まるで映画のフィルムが焼け付くように、赤が全てを塗りつ
ぶしてゆく。
 ──全部、見ていたのね?
 足も靴も壁も、女も、赤の中に消えた。
 どん、と何かが背中にぶつかり、ココは我に返った。
 音と光が戻って来る。
「大丈夫か」
 耳元で、低い声がした。いつの間にか、トリコに支えられて
いたのだ。
「……大丈夫、心配ない」
 身を起こし、深呼吸して息を整える。握り締めていた両手は、
じっとりと汗をかいていた。
「何か、見えました?」
 不安そうにこちらを見詰めるまなみに、ココは頷いた。
「ええ、拝見しました」
「そう……」
 まなみは、顎を引いた。
「では、ここに来た理由を、お話します。ある人を、見つけて
頂きたいんです」
「恋人……ではなさそうですね」
 ココの問いに、大きく息を吸い込む。ワンピースの胸が、
ゆっくりと上下した。
「はい。私の、母です」


                            (続く)



2010.2.23
今回は、ちょっと毛色の違う話です。……犬猫ものだけに。
(今うまいこと言ったぞ、私)