彼と彼の領域〜S〜
× × ×
一時間後、駆けつけた同僚らによって、連続暴行犯は逮捕され
た。
被害者であるココに対しても事情聴取は行われたが、さすがに
真夜中ということもあって遠慮したのか、部長刑事の「明日に
しましょう」のひと言で切り上げられた。
遠ざかる赤い回転灯に、ふんと鼻を鳴らし、サニーが踵を返す。
「遅くなっちまった。小松が心配してるだろうから、俺ァ帰る
ぜ」
「ああ、小松くんによろしく伝えてくれ。サニー」
「ん?」
「今夜はありがとう。助かったよ」
振り向いたサニーの眉間に、皺が寄った。
何か気に障ったのか、憎まれ口でも飛び出すかと思ったが、
「お前のためじゃねェよ。俺だって酷い目にあったんだから。
やられっぱなしは性に合わなかっただけだ」
「そうか」
「そうだよ」
言い捨てて、サニーはひょいと塀の上に飛び上がった。そこか
ら、隣家の屋根に軽々と飛び移る。
「おやすみ、サニー」
返事はなく、猫は夜の中に消えた。
「さて、俺たちも寝るか」
トリコがううんと伸びをしながら言った。
犯人を威嚇した時の、猛々しい気配は消え、普段どおり、大食
いで暢気な雄犬の顔だった。
家に入ろうとするトリコに、ココは訊ねた。
「一つ訊いてもいいか?」
「うん?」
どうしてお前は、この家に来たんだ。
あのストーカーも言っていたが、本当に『突然』トリコは現れ
た。まるで、ココを狙う犯人を牽制するようなタイミングだっ
たのだ。
喉元まで出かかった問いを飲み込んで、ココは別の質問を投げ
た。
「お前、パトロール中の警官を気にしていた時があったよな。
あの時から、警官が犯人だって判っていたのか」
「判ってたわけじゃねェよ。ただ、警官なら変だと思っただけ
さ」
「変?」
「匂いだよ。お前が言ったように、火薬とか銃器類に塗るオイ
ル臭なら、警官の体から匂っても不思議じゃない。だが、あの
時、歩き回っている警官の一人からしていたのは、薬と粉っぽ
い化粧品の匂い、それに複数の動物臭だった」
あの動物病院は、ペットの美容院も併設している。事実、サニ
ーが通っているのは、病院ではなく、そっち目当てだ。
「じゃあ……もしかして、昼間病院で大暴れして薬瓶を割った
のも?」
「ありゃ偶然。薬をぶちまけてやれば巡回に来た警官に臭いが
付いて、いい目印になるとは思ったけどな。あのエロ医者め、
お前がぼんやりしてんのに付け込んで、妙な気起こしやがるか
ら、こっちも頭に血が昇っちまったよ」
「ぼんやりなんか──!」
言い返そうとして、ココは首を振った。
助けてもらったのは、事実だ。それも、一度ではない。何度も
トリコは助けてくれたのだ。
「お前にも、お礼を言わなくちゃいけないな。ありがとう」
「ここは、俺の縄張りだからな。侵入者は本能的に許せないだ
けだ」
「……だから、この家は僕の家だって……人の話を聞いてた
か?トリコ」
「ああ、聞いてたぜ。だから、俺の縄張りなんだろ。お前は俺
の飼い主で、俺はお前の犬で、だからお前の居場所は、俺の縄
張りなんだよ。この家は、俺とお前の領域(テリトリ)だ」
ココを残して、のっそりとトリコは家の門をくぐった。
もう何年も前からこの家に住んでいたような、やけに存在感の
ある、大きな背中だった。
ココの口元が、苦笑に緩んだ。
これほど存在を主張されては仕方がない。あの朝、トリコが
転がり込んで来た時から、この場所はもう、彼の領域だったの
だ。
トリコの足が、ふと止まった。ココの唇から笑みが消える。
トリコが、庭木の繁みに向かうのを見たからだった。
真夜中ということも忘れて、ココは叫んだ。
「こらっ、そんなところにマーキングするんじゃない!トリ
コ!」
夜明け前の風が、二人の間を吹き抜けて行った。
了
2009.10.14
ひとまず終了!ここまでお付き合いありがとうございましたv
どッ引きされていなければ、シリーズにして、またやりたいと
思います。
ちなみに、この話の完全版は、オフラインにて〜!