彼と彼の領域〜O〜


「……それは小松くんに淹れてもらってくれ」
香りの良い紅茶でも出してやろうと、ココはキッチンに立っ
た。
薬缶を火に掛け、お湯を沸かす間に、封を切ったばかりのア
ールグレイを取り出す。
犬と猫はちょうど死角に入って見えないが、少なくとも険悪
な様子はない。
トリコの話では、まるで愛想がなかったということだったが、
意外にサニーの方は、声を掛けられて嬉しかったのかもしれな
い。それで訊ねて来たのではなかろうか。
小松の仕事が一段落する頃合いを見て、電話を入れておこう。
帰りに迎えに寄ると言うかもしれないし、寄れないにせよ、
彼のことだ。「サニーさんに友達が出来た」と喜ぶに違いない。
温かい気分で茶葉が開くのを待っていると、俄かにリビング
が騒がしくなった。
「やめとけって。返せよ」
「ケチなこと言うなって。一つっきゃないってわけじゃねェだ
ろ?いくつもあるなら、一つ分けてくれたっていいじゃねェか」
「そういうことじゃねェ。とにかくやめとけ」
「ヤダネ。こんな面白いもん、シカト出来るか」
何かを取り合っているようだ。
トリコが止めているが、リビングに、サニーが欲しがるような
ものなど、あったろうか。
ティーポットより彼らの方が気になって、ココはリビングを覗
き込んだ。
「何を騒いでるんだ?」
「サニー!やめろって!」
トリコがひと声、サニーを捕えようと手を伸ばす。それを難な
くかわしてソファから飛び降り、サニーは、ぽいと何かを口に
入れた。
「あ、馬鹿」
トリコが舌打ちする。
「サニー、今、何を食べたんだ?」
「食べたんじゃねェ。飲んだんだ」
「飲んだって……あ!」
テーブルに置いたままの薬袋を見て、思い出した。
動物病院でもらった、栄養剤だ。空のアルミ袋が一つ、床に
落ちている。
「これは何だって訊くから、病院でもらった毛艶が良くなる栄
養剤だって言ったんだ」
それは何をおいても飛びつくだろう。何しろ美しさのためなら
偏食もいとわない猫だ。
「まあ、医薬品じゃない、ただの栄養剤だから問題はないだろ
うよ。お前が要らないなら、サニーにあげてもいいと思ってい
たんだし」
「本当に、ただの栄養剤ならな」
鹿爪らしい顔で、トリコは妙なことを言った。
「違うのか?」
「もうすぐ判る……多分」
トリコの台詞にかぶって、サニーがふわぁと大欠伸をした。
「……ンだよ……急に眠くなってきやがったぞ」
涙目をこすりながら、おぼつかない足取りでソファに戻ろう
とする。
「サニー?」
崩れるようにソファに倒れ込んだかと思うと、すぐに寝息が
聞こえ始めた。
ココは、呆然と眠り猫を呆然と見下ろした。一体、どうして
しまったのだろう。
「見てのとおりさ。ただの栄養剤なんかじゃなかったってこと
だ」
床から薬の袋をつまみ上げ、トリコが言う。
「それは判ってる。僕が訊いているのは、なぜ睡眠薬なんかを
獣医が出したのかってことだよ。単純に栄養剤と間違えただけ
なのか、それとも睡眠薬と判っていて出したのか。もしそうな
ら、何故お前に睡眠薬を盛る必要があったのか。お前、何か知
ってるんじゃないのか?トリコ」
「俺は何も知らねェし、難しいことは判らねェよ。判るのは匂
いだけ、だけど……」
言いながら、鼻の頭を撫でる。まだ嗅覚は戻らないようだ。
ココに振り向き、訊ねた。
「で、メシ、まだ?」


                            (続く)



2009.9.10
出したのが『間違って精力剤』だったら洒落にならなかった。