彼と彼の領域〜N〜


動物病院に向かったのが、午後も遅い時間だったせいで、もう
六時を回っていた。
確かに腹も空く頃だろう。
「すぐ作るから、おとなしくしておいで」
手早く傷に絆創膏を貼り付け、立ち上がった。その時、玄関の
チャイムが鳴った。
ココとトリコは、顔を見合わせた。
この家を訪れる客は、滅多にない。
占いの客は、仕事場として別に借りている部屋しか知らない
から、自宅まで訪ねて来るのは、ごくごく限られた人間だけだ。
昼間ならともかく、こんな時間にセールスということもない
だろう。
「誰だろう」
「匂いは、しない?」
「まだ鼻が利かねェよ」
それは悪いことをした。
「ごめん」
と苦笑するココの頭上で、苛立ったようにチャイムが連打され
る。
「俺が出る」
立ち上がろうとするトリコを、ココは止めた。相手が誰かは知
らないが、いきなり犬に出迎えられたら面食らうだろう。
「じゃあ、付いて行く」
「心配性だな」
ココは呆れたが、トリコは譲らず、玄関先までぴったりと後ろ
に付いて来た。動物病院でのことといい、一体何を考えている
のやら。
チャイムはまだ鳴り続いている。
慌てていたので、ドアスコープも覗かずにドアを開けてしまっ
た。
「はい。どちら様ですか……!」
「遅(おっせ)っ!いつまで待たせんだよ!」
トリコが、「あ」と指を差す。
「猫」
「指差すんじゃねェ。失礼な犬が!」
今にも噛み付きそうな顔で、『客』が吐き捨てる。
訪ねて来たのは、小松の飼い猫サニーだった。

               × × ×

家主の許しも得ずに、勝手にリビングまで入り込んだ猫は、
ぐるりと室内を見渡すと、独りごちた。
「ま、ちょっと飾りっけが少ない気もするけど、いんじゃね?
センスは悪くない」
「あ……ありがとう」
ずかずかと上がり込んでおいて、それこそ失礼な言い草なのだ
が、反射的にお礼を言ってしまった。
サニーの目が、ココに移る。
また無遠慮にじろじろと眺め回し、言った。
「やっぱオメーら、メンクイ同士なんじゃね?」
「はあ?」
何を言い出すのか。いや、そんなことより。
「サニー……だったよね。こんな時間に一人で訪ねて来るなん
て、何かあったのかい?小松くんはどうしたんだ?その前に、
どうしてうちの場所が判ったんだ?」
「最初の質問。夜の一人歩きは猫の日課。二番目。小松(まつ)
はレストランで仕事中。最後。病院でカルテに住所書いただろ。
以上」
「盗み見したのか!」
「ま、細かいことは気にすんな。そんなことより、せっかく来
たんだ。何か出してくれよ」
美貌の猫は、先刻までトリコとココが座っていたソファに陣取
り、胸を反らした。
約束でもしていたのかと、トリコに目配せしてみたが、彼は、
分厚い肩を竦めただけだった。
どうやら本当に、「ただ遊びに来ただけ」のようだ。
「夕食はこれから作るところなんだけど……」
「飯はイラネ。小松が作ってくれたのがあるから。茶でいいぜ。
出来たら脂肪を分解してくれる良質なプーアール茶か、上物の
ローズティーがいいな」


                            (続く)



2009.8.30
サニーとココたんは、多分紅茶好き。ハーブティーも愛飲。