彼と彼の領域〜H〜


「猫は元々、そういう性格だろ。そんなことより……」
サニーが見ていたのは、やはり刑務所だったのだ。元の飼い主
が出所するのを、待っているのに違いない。
けれど、そのことを、今の飼い主である小松は知らない。サニー
が出歩くのを、気まぐれな散歩くらいに思っている。
『猫は自由な生き物ですもんね。特にサニーさんはそう。家の
中に閉じこもっているより、外を好きに歩き回っていたいらしい
です。野良が長かったのかなあ?』
ココはスプーンを置いた。
もし、元の飼い主が出て来たら、サニーはどうするつもりなの
だろう。
帰って行くのだろうか──あの優しい青年を置いて。
例えそうなっても、小松なら受け入れる気がした。
今、サニーを必要とし、なおかつ去る時も引き止めたりしない。
驚くべき動物の勘で、サニーはそういう相手を選んだのかも
しれない。
「食わねェのか?」
トリコが、ココの顔と、殆ど手を付けていないシチュー皿を見比
べながら訊いた。
その顔つきからすると、胸中はココの心配と皿の中身への欲求、
半々だろう。
ココは皿をトリコの方へ押しやった。食欲はとうに失せている。
「これも食べていいよ」
「おおっ!サンキュー、ココ!」
玉ねぎ抜きのビーフシチューを、大喜びでかき込む。それを見
ながら、ココは再び考えに沈んだ。
今聞き知った話を、小松にも知らせてやるべきだろうか。
小松の元にサニーが現れた時期からすれば、今日明日に元の
飼い主が出て来るとは思えない。が、いずれは向き合わねばなら
ない話だ。
『仕方ないね』と笑って諦めたとしても、小松の心には決して
小さくない傷が残るだろう。
ならば、あらかじめ知っておいた方が、傷は浅くて済むのでは
ないか。
「あんま考え過ぎんなよ」
唐突に言われ、どきりとした。トリコは大きなじゃが芋を口に
入れるところだった。皿から目を上げようともしない。
「どうするかは、あの猫と飼い主たちが決めることだ。お前が
悩むことじゃねェだろ」
「……僕、何か言ったか?」
独り言を言った覚えはないし、勿論、トリコに話したわけでも
ない。ただ頭の中で考えただけなのに、まるで聞いていたよう
な口ぶりだった。
「言ってねェよ。けど、聞かなくたって判る」
「どうして?」
「匂いがすんだよ。帰ってから、ずっと。ココ、お前、ハンパねェ
心配性な」
「そんなことまで、匂いで判るのか?」
言い当てられ、腹が立つより驚いた。
自慢するでもなく、淡々とトリコは答えた。その間も、食事の手
は止めなかった。
「判る。匂いは感情によって変わるんだ」
「動物も、人間も?」
「人間だって動物だろ。同じさ。そいつの変化のクセさえ読める
ようになりゃ、大体判る」
ココは苦笑した。
「それが本当なら、僕や同業者は軒並み廃業だな」
「そういや、ココの仕事って何だ?」
「占い師」
トリコの眉が片方、ぴくりと上がった。が、それについては何も
言わず、空になった皿を二枚、ココに突き出して寄越した。
「おかわり」
「行儀が悪いよ、トリコ。差し出す時は一枚ずつ、だ」
「どうせすぐ食い終わっちまうのに?面倒くせェ」
「そうしたら、またよそってやるから」
キッチンに向かいかけ、ふと思った。
どうして、トリコはここにいるのだろう。
どこかの誰かから逃げ出して、偶然、この家の前で力尽きた。
そう思い込んでいた。
だが、実際に確かめたわけではない。本当にそうなのかもしれ
ないし、違うのかもしれない。
違うのなら──ただの偶然でないのなら、どんな理由があって、
この家を選んだのか。
『動物の勘』で、ココの中の何かを、トリコは嗅ぎ付けたのだろう
か。
シチューを待ちながら大きなバゲットに齧り付くトリコを、ココは
そっと、肩越しに盗み見た。


                            (続く)



2009.6.3
ココが心配性(by サニー)だという原作の設定は、大変にツボで
ございました。