彼と彼の領域〜F〜


               × × ×


「──ン?」
渡された金、全額はたいて買い込んだ焼き鳥を抱え、トリコは
立ち止まった。
背後では、すっからかんになったケースを埋めようと、焼き鳥
屋の親父が必死の形相で焼き台に向かっているが、トリコの
気に留まったのは、それではない。
屋台に面した平置きの駐車場の奥に、青いコンテナが、数台
並んでいる。倉庫にでも使っているのだろうその屋根の上に、
派手な毛玉があった。
白、ピンク、緑、青──一度見たら忘れない、強烈な色彩の
毛並み。
つい先刻、病院で見かけた雄猫だ。こちらに背中を向ける格好
で、座っている。
トリコは、首を傾げた。
「何やってんだ?あいつ」
猫の前にあるのは、高さ三メートルほどの陰気なコンクリート
の塀と、その上に張り巡らされた有刺鉄線。それだけだった。
これといって楽しそうなものは見当たらない。
だが、猫は一心に、のっぺりとした壁を見詰めている。
駐車場を横切ってコンテナに近付き、トリコは下から声を掛け
た。
「おい、何見てんだ」
猫は、じろりとトリコを見下ろしたが、すぐにまた前に向き直っ
た。
「塀」
「そいつは見りゃ判る。あっち側に、何かあんのか?」
「お前にゃ関係ねェだろ」
「まあ……そうだけどな」
話の接ぎ穂を失って、砂肝串を二本まとめて口に入れたところ
で、
「ムショ」
突然、猫が言った。
「あ?」
「刑務所だよ」
「ンなもん、見えねェぞ」
「そっからじゃ見えねェよ。ここに上がらねェと」
「あ、そうか」
焼き鳥の袋を落とさないように握り、トリコは助走もつけず、
地面を蹴った。軽々と、コンテナの屋根に飛び乗る。
また毛を逆立てて嫌がられるかと思ったが、意外にも、猫は
おとなしかった。僅かに体をずらし、トリコと距離を取っただけ
だ。
空いたスペースに、猫と並んでトリコは腰を下ろした。
が、やはり見えない。
「どこだよ、刑務所」
「見えてんだろ」
「見えねェって」
「誰が全部見えるっつったよ。屋根だ、屋根」
「屋根?」
なるほど、有刺鉄線の隙間から、緑色の鋼板らしきものが見え
ている。あれか。
「あそこに、誰かいるのか?」
一瞬、応えが遅れた。
「俺の相棒──だった奴さ」
「飼い主か?だが……」
病院にいたのが、飼い主ではないのか。随分と可愛がられて
いるように見えたが。
そう言うと、猫は苛立ったように、鼻に皺を寄せた。
「『だった』と言ったろう。昔の話だ、今じゃねェ!って、先刻から
ゴチャゴチャとうっせーな!犬!てめェはさっさとあのビューティー
野郎ンとこ帰れ!」
「ビューティー野郎?ああ、ココのことか」
「ココっていうのか、あいつ」
初めて、猫が興味を示した。


                            (続く)



2009.5.21
サニーにルビなしで喋らせるのは難しい…(汗)