彼と彼の領域〜E〜


               × × ×


トリコ──と、彼に担がれたココ──が辿り着いたのは、都道
を渡った先にあるスーパーマーケットだった。
夕方の買い物に訪れる主婦を狙って、店先に出した屋台から、
もうもうと香ばしい煙が立ち昇っている。
焼鳥。
はためくのぼりと、雨でもないのにアスファルトに点々と増え
ていく黒い染みを見て、ココはジャケットの内ポケットから
財布を取り出した。
「買っておいで。僕は中で買い物をして来る。夕飯の分のお腹
は空けておくんだからな」
「おう、任せろ。そこの肉食い尽くしたって、ココの飯は俺が
残さず食ってやる」
「破産するからやめてくれ」
渡された金を握り締め、涎を撒き散らしながら屋台にすっ飛ん
でいくトリコを見送り、ココは溜息を吐いた。
同時に、どっと疲労感が襲って来る。おかしな格好で揺さぶ
られたせいか、少し眩暈も感じていた。
さっさと買い物を済ませて、早く帰ろう。
疲労回復に効く食材を、あれこれ思い浮かべながらスーパー
の自動ドアをくぐったところで、
「ココさん」
呼び止められ、ココは足を止めた。
「ああ、先刻の……」
動物病院の待合室で会った青年だった。名前も、その時に聞
いている。
「小松くん、だったね」
「はい。先ほどは、うちの猫が失礼しました」
ぺこりと頭を下げる。その手に提げたかごの中身を、見るとも
なく見やって、ココはぎょっとした。
鶏皮、牛すじ、エイひれ、ふかひれ──白いドーム状の塊は、
鍋に入れるコラーゲン玉だ。
他人の食生活に口を出すつもりはないが、これはいくら何でも
偏食過ぎないか。
「小松くん、それは……」
小松は慌てて、空いた片手を振った。
「僕じゃありませんよ!これはサニーさんのご飯です!」
「あの猫の?」
訊き返してしまった。何だか今日は驚いてばかりいる気がする。
「こんな食生活は良くないって、もう何度も言ってるんですけ
どね。何しろ、僕の家に来た時には、既に好みが出来上がって
しまっていて……」
小松の言葉を、ココは聞き咎めた。
あのサニーという派手な猫は、子猫のうちから小松に飼われて
いたわけではないのだ。
「ええ、半年くらい前からですよ。一緒に暮らすようになった
のは。急にふらっと家に来て、ちょっとご飯をあげたら、それ
きり居ついちゃったんです」
最近、どこかで聞いたような話だ。
「前の飼い主のことは?」
小松は首を横に振る。
「全然。聞いても答えてくれないし、あれだけ目立つ外見の猫
なら、元の飼い主もすぐ見つかるだろうと思ってたんですけど
……」
「見つからなかったんだね」
「ええ。……でもね」
小松は心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
「今は、来てくれて良かったと思ってます。偏食家だし、気ま
ぐれで我侭ですけど──まあこれは猫は皆そうなんでしょうけ
ど──楽しいですもん。サニーさんが来てくれるまで、僕なん
て毎日、仕事しかしてませんでしたから」
つられてココも微笑った。待合室でも感じたが、どうやらサニ
ーは十二分に大事にされているようだ。
犬や猫は、人より人の感情に敏感だというから、自分を必要と
してくれそうな人間を選んで、転がり込んだのかもしれない。
「そういえば、サニーの姿が見えないね」
ペットを飼っている住民が多いせいか、この辺りでは、食料
品店に犬猫を連れて入っても、咎められることは滅多にない。
猫一倍偏食家だというサニーなら、ああでもないこうでもな
いと、食材を選ぶ小松に注文を付けそうだが。
「外が好きだから、散歩でもしてるんでしょう。うちは、ここから
一ブロック挟んだ向こうのマンションなんですけど、部屋に
いる時も、大体ベランダに出て、隣の建物を眺めてますよ」
小松の言うマンションがどれのことか、すぐに思い至って、
ココは眉を顰めた。
本当に、サニーは外が好きなのだろうか。
小松のマンションと、このスーパーの間の一ブロックにある
もの。
それは──刑務所だ。


                            (続く)



2009.5.13
スーパーの名は、きっと「グルメスーパー」……。