彼と彼の領域〜C〜


「変な奴が来たら、追っ払ってやる。任せとけって。こう見え
て、結構当たりが強いんだぜ」
 こう見えてどころか、どう見ても当たりは強そうだが──
いや、そんなことはどうでもいい。
「ちょっと待て、トリコ。お前、もしかしてここに住むつもり
か?」
「おう。いいだろ?ココのメシ美味いしよ」
「それはお前の都合だろう!僕の都合はどこにいったんだ?
毎日こんなに食べる気か」
「防犯対策と思えば安いもんじゃねェか。見たところ、他に住
んでる奴もいないみたいだし。それとも、俺がいたらまずい理
由でもあるのか」
 理由はない。
 一人暮らしだし、一戸建てで持ち家だから、ペット不可という
わけでもない。
 だが、だからといって──。
 真剣に考え込むココを残し、「決まりな」と、トリコはリビング
を出て行った。階段を登りかけて、立ち止まる。
「ああ、部屋の心配はしなくていいぜ。お前と一緒に寝るからさ」
「部屋は別!」
 ぴしりと言い返して、ココは決心した。
 うちで飼うなら、目をつぶるわけにはいかない。
 躾だけは、しっかり入れよう。

              ×  ×  ×

「健康ですね。どこも怪我している様子はありませんし、血液
検査も問題ありません。寄生虫もいませんし、非常に健康状態
は良いですよ」
 獣医師は、如才ない仕事ぶりでトリコの診察を済ませた後、
そう言ってココに笑いかけた。
 院長というから、もっと年嵩の、四、五十代の獣医を想像して
いたのだが、意外に若い。ココと同じか、せいぜい二つ三つ上
といったところだろう。
 薬品の臭いが嫌だと、病院に入るのを渋ったトリコだったが、
診察が始まってしまえば大人しいもので、特に逆らう様子も見
せなかった。
 今はココの隣の丸椅子で、大きな背中を丸めるようにして座
っている。よほど退屈なのか、ふわあと三度目の欠伸をした。
「ワクチンを接種しているかは、判らないんでしたね。念のた
め、こちらで射っておきましょうか」
「お願いします」
 注射されている間も、トリコは静かだった。消毒綿の臭いに、
少し顔を顰めた程度だ。
 動物を飼ったことがないから判らないが、普通はもっと嫌が
るものではないのだろうか。
「ありがとうございました」
 礼を言い、診察室を出ようとして、「如月さん」と呼び止めら
れた。
「はい?」
 振り返ると、獣医師がデスクから立ち上がるところだった。
見送るつもりか、戸口へと近付いて来る。
「体の大きい犬は小さい犬に比べて丈夫ですが、その分、大き
な病気を抱えていても見過ごされがちです。結果、病院に連れ
て来られた時には、手遅れだった、ということも多い」
「はあ」
 ココは曖昧に返事をした。
 まあ、一般的にはそうなのだろう。トリコについては、あま
り当てはまらない気もするが。
 妙に熱っぽい口調で、獣医は続けた。
「それを避けるには、とにかくこうして検診を受けることです」
「はあ」
「出来るだけまめに、そう、次は二週間後にいらしてください」
「二週間後、ですか?」
 それはいくら何でもまめすぎないだろうか。
 困惑が顔に出たのか、獣医が身を乗り出して来た。鼻先が触
れそうになって、思わず身を引く。
「あの、ちょっと近いんですけど……」
「二週間後に。今度は自宅で出来るケアについても、お話しま
すから、是非……!」
「さっさと帰ろうぜ、ココ」
 開きかけていたドアから、先に出ていたトリコが顔を出した。
ココのシャツの襟首を掴み、
「腹減っちまったよ。肉が食いてェな──こう、噛んだら血が
滴るような奴」
じろりと獣医を睨む。慌てて獣医が一メートルほども跳び退っ
た。
「お大事に」
 最後は、消え入りそうな声だった。


                            (続く)



2009.4.6
ココの名字は「如月」です…トリコレをお読みの方は笑って
やってください。でも何か違和感ないんですけど!