DEEP DEEP・C


「お前のとこの連中は、泡食っちまって話にもならねェしよ。
一番お前を可愛がっていた会長(オヤジ)も、何も知らねェ
と来てる。参ったぜ」
「驚かせたか」
「そんなには。お前が色々うんざりしてるのは知っていたから
な」
 とすると、不機嫌は、いなくなったことそのものに対してでは
ないのだ。
「ゼブラの奴が手を貸したんだろう。あいつも同時に消えやが
ったからな」
「ああ。僕が頼んだ」
 眉間の皺が深くなった。
「どうしてゼブラなんだよ。俺じゃなくて」
 そっちか。
 意外な思いで、ココはトリコを見返した。
 険しい目だ。だが、逃げられたと傷ついている風ではない。
 目を凝らしても、見えるのは時折爆ぜる赤、軽い怒りの色だ
けだ。失望や悲しみの色はない。
 それはしかし、トリコらしい反応とも言えた。
 自分自身の体を使い、五感──時には六感──で感じたもの
しか、彼は信じない。
 ココは、椅子に腰を下ろした。
「お前を巻き込むわけにはいかなかったからさ」
「だから、そりゃどうしてかを聞いてんだよ」
「ゼブラは、僕と同じだ。逃げたがっていた。お前は違う」
 折に触れ、上と衝突を繰り返しながらも、トリコは美食屋を
辞めようとはしなかった。むしろ仕事を楽しんでいたと言って
もいい。
 どれほど修行に励み、経験を積んだところで、センスの無い
者は美食屋には向かない。
 美食屋にとってのセンスとは、軍人のように自身が生き残る
ための戦闘力ではない。生き延びて更に、確実に獲物を仕留め
て持ち帰る執念だ。
 単なる依頼ではなく、自らもその食材を口にしたいという強い
欲求。それこそが美食屋に求められるセンスなのだとしたら、
トリコほど美食屋に相応しい男はいない。
 会長も所長も、だからこそトリコに期待していたのだ。
「オヤジたちは関係ねェだろう」
「逆だよ。お前が美食屋稼業を楽しんでいるから、期待するん
だ。それをぶち壊すわけにはいかないだろう。僕だって、IGOを
敵に回すのはごめんだ」
 ゼブラは自由になりたがっていた。彼は、美食屋の仕事より、
強敵を捜し出し戦うことに魅力を感じる男だったのだ。
 そして、組織はそんな彼を持て余していた。
 だから、話を持ちかけることに躊躇いはなかった。
「それだけか」
 トリコが訊き、ココは俯きかけていた顔を上げた。
「……何が?」
「本当にそれだけのために、俺に話を持ち込まなかったのか」
 本当は違った。今の理由は、半分に過ぎない。
 だが、違うと答えれば、もう半分を口にせざるを得なくなる。
 正面からの強い視線を、ココは受け止めた。向かい合ってい
るだけで気圧されそうになるのを堪え、顎を引いて見返す。
「それだけだ」
 更に数秒、トリコは無言でココを見詰め、
「まあ、いいさ」
と、視線を逸らした。
 小さな占い部屋を見回し、がらりと口調を変えた。
「繁盛しているみたいじゃないか。二時間も並んだぜ」
「新顔だから、珍しがられてるだけさ」
「今はそうでも、すぐに客が客を呼ぶだろうよ。まるで、全部
見透かされてるみたいに当たる、ってな」


                            (続く)



2009.2.16
ココは優しいけど、強情なくらい意地っ張りだったらいいな…。