『裂く蘭』(抜粋)


 追い払う口実ではなく、本当にそのつもりだったのだろう。
不壊は欠伸を噛み殺しながらベッドの毛布に手を伸ばしかけ、
そこでいきなりドアまで飛び退った。
「何しやがる!」
 ギグを、次いで足元を睨む。擦り切れそうな安物の絨毯の上
に、ギグの影が落ちていた。
 ギグはソファから一歩も動いていない。立ち上がろうとすら
していない。
 なのに影だけが、本来あるべき場所からはるかに長く、不壊
のブーツの爪先に届きそうなほど伸びていた。
 背中に手を回しノブを探していた不壊が、電気にでも触れた
ように、ぱっとその手を離した。
 床から這い上がったギグの影が、ドアを真っ黒に覆い尽くし
てゆく。
 ドアばかりではない。左右の壁、出入口の正面に位置する窓、
床、天井に至るまで、部屋の全てに見る見る影は広がった。
「てめェ……」
 小さく、不壊が舌打ちした。
 この影をすり抜けるのは、ギグの中を通り抜けるようなもの
だ。無理に抜けようとすれば、逆に絡め取られて、身動きが取
れなくなる。
「お前は逃げ足が速いからな。悪いが先手を打たせてもらった」
 完全に不壊の退路を断ち、漸くギグはソファから起き上がった。
「俺を閉じ込めて、どうする気だ。悪ふざけにしちゃ度が過ぎる
んじゃねェか?」
「悪ふざけだと思うのか」
 不壊が、量るように目を眇める。
「以前は、悪趣味だとも言われたな」
「……その話か」
 不壊は黙り込んだ。こちらの意図は判った筈だった。
 さあ、どうする。
 あらぬ期待に、ギグの胸が高鳴った。
 逃げ道を閉ざされ、その躰が犯されようというのだ。冷静で
はいられまい。
 どんな顔で、どんな言葉で、抗うのか。抵抗は激しい方がい
い。その方が、ねじ伏せる歓びがある。見せてくれる姿が普段
の彼から遠くなればなるほど、すかした面の皮を剥ぎ取る甲斐
があるというものだ。
 だが、期待は裏切られた。
 不壊は溜息を吐き、けだるそうに首を振ると言った。
「仕方ねェ」
 ギグは耳を疑った。
「不壊?」
「やらせてやりゃあ気が済むんだろ。一時間なら、いいぜ、付
き合ってやる」
 予想もしていなかった答だった。
 戸惑うギグを、不壊は鼻で嗤った。
「どうした。俺を抱きたいんじゃなかったのか?それとも、
この期に及んで勃たねェとか言うんじゃねェだろうな」
 それで火が点いた。
 抱いてみたいと思っていた躰が、さあどうぞと差し出されて
いるのだ。何を躊躇うことがある?
「いい度胸だ」
 影はギグの分身だ。ギグの思うまま、手足のように動く。
 その影が、壁から、床から、天井から、不壊に向かって一斉
に伸びた。手首に、足首に、首筋に絡みつき、絞め上げない
程度に、自由を奪う。
 一端が、深く切れ込んだコートの胸元から、内側に忍び込ん
だ。不壊が細い眉を顰める。離れて立つギグを睨むと、言った。
「てめェの体を使え。影と遊ぶ趣味はねェんだ」
 言い終わるや、足元から不壊の影が伸び上がった。
 そして、止める間もなく、ギグの帽子を弾き落とした。



2008.12.7 UP
『裂く蘭』ギグの章から抜粋。
三人の場面は9割方が18禁なので、抜き出せませんでした(泣笑)
三人揃ったシーンはオフラインでどうぞv