〜カンナ町二丁目島田道場・2.5〜


        
       九、 役者は揃った!(前編)


 ドアを開けた瞬間から、男は少しばかり後悔していた。
 やはり、センサーの言うとおり、日を改めれば良かったかも
しれない。
 店の内装も、外観を裏切らないレトロさだった。
 磨き抜かれた飴色のカウンターも、シンプルなクロスを掛け
て一輪挿しを置いた木製のテーブルも、どことなく懐かしい。
 だが、そこに居並ぶ顔は、客の微かなノスタルジーなど一撃
で粉砕する胡散臭さだった。
 金髪のバーテンダーが二人。どちらも、渋谷や六本木あたり
ならともかく、こんな──都内とは思えないような──辺鄙な
住宅街に何故、と首を傾げたくなる容姿だった。
 店の奥のテーブルでは、小柄な赤毛の男が一人、カーナビら
しきものを弄くっている。ちらとこちらを振り向いたが、すぐ
に興味を失ったらしく、機械に向き直った。典型的な機械オタ
クだ、と男は決めつけた。人間よりも機械が好きなのに違いな
い。
 カウンターの一番奥のスツールには、先刻見かけた黒人がい
た。短い銀髪に、逞しい体?。薄暗い店内でも、頬に大きな傷
跡があるのが見えた。
 大怪我をして退役した元軍人、といった風情だ。この店の用
心棒だろうか。いずれまっとうな商売とは思えない。
「いらっしゃいませ」
 入口に立ったまま動かない男とセンサーに、バーテンダーの
一人が慇懃に近付いた。長い金髪を一つに束ねている。
「お二人様ですね」
「……お、おう」
 間接照明の明りに浮かんだ顔は、男色趣味など欠片も持ち合
わせていない男でも、一瞬どきりとするほど艶めかしかった。
「こちらへ、どうぞ」
 一番手前のテーブルに案内される。
 もう一人のバーテンが、すかさずメニューを差し出す。「どう
も」と顔を上げ、ぎくりとした。
 赤い瞳だった。
「ご注文は」
 思ったより低い声だった。当たり前のことを尋ねているだけ
なのに、何故か聞く者をぞっとさせるものがある。
 男は慌てて形ばかりメニューを開いた。ろくに見もせず、注文
する。
「ああ……そうだな、ビール二つ」
「俺は温かいもんが飲みてェよ」
「おめェは黙ってろ」
 寒さに震えながらぼやくセンサーを黙らせ、いくつかつまみ
を頼むと、赤目のバーテンダーはカウンターに戻って行った。
 もう一人に小声で注文を伝え、グラスを取り出す。
 常連ではないと見てぼられるのではないか、と気になった。
さりげなくメニューを見直したが、値段は至って普通だった。
生ビールがグラス一杯五百円。
 ほっとしたところに、センサーが囁いた。
「ももっち、あの嬢ちゃんがいねェよ」
「判ってる」
 男も、先ほどから気付いていた。コマチの姿が見当たらない。
確かにここに入って行ったきり、出て来なかった筈だが。
 男は傘立てに目をやった。男物の黒い傘と安物のビニール傘
に混じり、子供用の黄色い傘があった。
 男は言った。
「まだ、中にいるぜ。待ってりゃそのうち出て来るさ」
「顔、覚えられてたら、何て言う?」
「『どうしたんだい、子供がこんな時間に』とか、何とでも言い
ようはあるだろう。要は偶然を装えばいいんだよ」
「どう、したんだい……子供が、こんな時間に」
 ぶつぶつとセンサーは口の中で繰り返した。覚えようと必死
らしい。
 男は舌打ちした。
 この努力にこれまで助けられたのも確かだが、たまに鬱陶し
くなる。
「みっともねェなあ。もっとこうシャキッと……」
 苛々とたしなめかけた時、テーブルに通しとビールが置かれ
た。
 例の、赤目のバーテンだった。
「料理も間もなく参ります」
 男は何度も小さく頷いた。バーテンが立ち去るのを、微動だ
にせず待った。
「どうしたんだよ、ももっち。顔が引き攣ってるぜ」
 呑気にセンサーが尋ねたが、それに答える余裕もなかった。
 額の生え際に汗が滲んでいる。
 ──怖い。
 足音が、しなかった。
 そればかりではない。グラスが置かれるまで、彼が近付いて
来たことにすら、気付かなかったのだ。
 ──やっぱり、只者じゃねェ。
 男は激しく後悔した。

 
                     「九、 役者は揃った!(後編)」に続く


2007.6.9
今見たら三ヶ月ぶりの更新じゃないですか!(汗)
こんな長いこと続き放置ですみません〜!
えーと、ちゃんと終わらせますです…多分、十章で終わり、かな?