〜カンナ町二丁目島田道場・2.5〜



        
       七、 悪人は企む


 男は苛々し始めていた。
 この数年つるんで来た相棒は、まあ気の長い方だが、自分は
違う。
幼稚園の頃、鉄棒をなかなか譲ろうとしない同級生──園児
で同級生と言って良いのかどうかは知らないが──の頭を、植
木鉢で殴って怪我をさせてからこっち、「気が長い」という評価
を受けたことは一度も無い。
 大抵、通信簿には「もう少し、気持ちを大らかに持ちましょう」
と書かれ、そう書いた教師には必ず何らかの仕返しをした。
 そうこうするうちに、教師どころか友達すらいなくなり、いつ
の間にか周囲から浮きまくった存在になっていた。
 漸く仲間と呼べる相手が出来たのは、高校を出てからのこと
だ。
 当時、勤めていたバイト先の居酒屋で出会ったのだ。
 例によって、短気の悪癖が出て、バイト先は一週間でクビに
なったが、そいつとの関係はそのまま続き、そのうちに家賃が
勿体無いからと、一緒に住むようになった。
 以来、何となくコンビを組んでいる。
 小林ナントカという本名は、店にいた頃に聞いたが、男は一
度もそれで相手を呼んだことはなく、いつも仇名の『センサー』
で呼んでいる。
 何でも、調理場に出たゴキブリをセンサーのような正確さ、
素早さで叩き潰したとかで、店の誰かが付けたらしい。
 正直、ダサいあだ名だと思ったが、本人は意外に気に入って
いるらしく、男もそう呼ぶことにした。
 逆に、センサーは、男を『モモっち』と呼ぶ。男が髪を派手
なピンク色に染めているからだ。
 最初は、イヤだイヤだと男も騒いだものだが、かといって他
に適当な呼び名もなく(本名は更にダサいので、死んでも呼ば
れたくなかった)、いつの間にか『モモっち』で収まってしまっ
た。
 センサーは、男より頭一つ以上小さい短躯で、古いテンガロ
ンハットをいつも目深に被っている。バイト中は帽子は禁止だ
が、その代わり、居酒屋のバンダナを目の縁ギリギリまで下ろ
して被っていた。
 客からも店員達からも気味悪がられていたようだが、それ以
外は特に問題もなく、どんな仕事でも我慢強く、よくこなして
いたから、彼は男よりよっぽど長く居酒屋でのバイトを続けた。
 センサーが居酒屋を辞めたのは、男が別の仕事に誘ったせい
だ。
「テキ屋、やらねえか?今までやっていた爺さんが、屋台一式、
安く譲ってくれるってよ」
「儲かんのか」
「ここら辺は、下町で祭も多いから、結構な稼ぎになるってよ。
爺さんはたこ焼き屋だったけど、当面はその道具をそのまま使
って、金が出来たら新しい設備入れて、別の屋台にしたってい
いさ」
「ふうん……」
 センサーは初めあまり気乗りがしなさそうだったが、男は
すっかりその気だった。
 祭ともなれば、若い女も集まるし、何より毎日あくせく仕事
に行かなくて良い、というのが美味しい。
 腹が減ったら、最悪自分の店のものを食えば、飢え死には
しなくて済むだろう。
「なあ、やろうぜ。今のところ、さっさと辞めて来いよ」
 翌日、センサーは退職届を出し、二人はテキ屋になった。
 考えが甘かったと気付いたのは、テキ屋として最初の仕事に
出た、その日のことだ。
 なかなか客が来ない。
 やっと来たと思ったら、こんな不味いものが食えるか、金返
せ、と怒鳴られた。爺さんにちょっと習っただけの素人なのだ
から仕方が無いのだが、客はそんなことを知るわけもない。
 初日の売上は散々だった。
 が、勿論、ショバ代はきっちり取られるし、材料費だって馬
鹿にならない。
 赤字も赤字、大赤字だった。
 男はすっかり不貞腐れ、屋台なんてやめちまおうかと思った
のだが、ここでもセンサーの粘り強さがものを言い、どうにか
二週間後にはまともな食い物が出せるようになり、一ヵ月後に
は微々たるものだが黒字になった。
 一度美味いと評判になればしめたもので、祭だけでなく、定
期的にカンナ商店街──テキ屋の仲間内ではどういうわけだか
『タコモール』と呼ばれている──で、屋台を出せるようにも
なった。
 あれから二年。
 テキ屋の仕事にも男が飽き始めた頃、ふとつけたテレビで面
白いドラマをやっていた。
 自分たちのような屋台引きが、金持ちの老婆を誘拐して、高
い身代金を要求する。何だかんだとトラブルを起こしつつも、
最後はまんまと警察を出し抜いて、五千万円の金を手にする、
という内容だった。
 これは、いけるかもしれない。
 センサーにも話して聞かせ、早速、二人で計画を立てた。
 金持ちの老婆に知り合いはいない。となると、ターゲットを
どこからか見つけて来なければならない。
 ふと、センサーが思いついたようにカレンダーを見上げた。
 赤い丸のついた日付が、テキ屋の仕事日だ。
「モモっち、再来週の土曜日に、仕事が入ってるぜ」
「仕事なんて、どうでもいいんだよ。今は、金持ち探すのが先
決だろ」
「だから、金持ちのいる仕事場だよ。私立名門女子校の学園祭
なら、いいとこのお嬢さんばっかりじゃねェ?」
 センサーの鋭さに、男は驚嘆した。
「それだ。たんまり金取れそうなガキを見繕おうぜ」
 狙いは当たった。
 割り当てられた仕事場は、聖ミクマリ学園の幼稚舎で、金を
持っていそうな子供がわんさかいた。
 中でも、一際目を引いたのが、学園の理事長の孫だという娘
だ。
 人懐こい性格らしく、話し掛けると警戒もせずに、よく喋っ
た。喋り過ぎて、センサーが適当に追い払ってくれなければ、
たこ焼きを焼かせてもらえなかったほどだ。
 ともかくも、ターゲットは決まった。
 ミクマリ学園の理事長の孫娘、水分コマチ。
 流石に大きな行事のすぐ後では、足が付きやすいだろうとい
うわけで、半月我慢した。
 狙い目は、帰り道だ。
 利発なコマチは、送迎バスなど使わず、友達と一緒に連れ立
って帰る。友達と別れて一人になったところを、攫おう。
 センサーとそう申し合わせて、学園を出たところから後を尾
けていたのだが──よりにもよって今日、この日に限って、コ
マチが寄り道をするとは。
 何本目かの煙草を踏み消して、ブロック塀の影から、そろそ
ろと角の向うを覗き見る。
 コマチが入って行ったのは、『六花館』という今時レトロな外
観の喫茶店だった。
 スタバやドトールが幅を利かせている時代に、こんな店では
流行らないのだろう。夕方から、コマチが出て来るのを待って
見張っているが、客は殆ど入っていない。
 今先刻、やたらと大柄な黒人が一人、入っていったが、それ
きりだ。
「なあ、モモっち。どうする?」
「何がだよ?」
 待てど暮らせど出て来ないコマチに、いい加減うんざりして
いた男は、センサーの声にも、つっけんどんな返事をした。
 この二年で男の性格を熟知しているセンサーは、これくらい
のことでは怒らないしへこたれない。
「このまま、待ってもいいけどよ。今入って行った黒人、あり
ゃやべーよ。素人じゃねェ。あの嬢ちゃんが、こんな店に何の
用で入っていたのかは知らねェけど、今夜はやめといた方が良
くねェか?」
 正直、センサーの言うとおりだと思ったのだが、ここまで待
ったのにというおかしな意地もあって、素直に頷けなかった。
 男はセンサーに振り向き、鼻で嗤った。
「怖気づいたのかよ。なら、家に帰ってたこ焼き道具でも磨い
てろ。その代わり、金の山分けは無しだからな」
 ううん、とセンサーは唸ったが、やはり金は欲しかったのか、
「判ったよ」と不承不承、男に従った。
「で、どうすんだ?このまま、ずっと待つつもりか?」
「そうだな……」
 いい加減、傘を持つ手も疲れて来た。背中に当てたホッカイ
ロも切れかけているし、温かいものが飲みたい。
「あと15分くらい待って、それでも出て来なかったら、店に
入ってみよう。嬢ちゃんは顔を覚えているかもしれないが、な
あに、偶然を装えば問題ないさ」
 まだコマチが帰らないようなら、日を改めれば良いし、こち
らの顔を覚えていなければ、これ幸いだ。
 ここからの帰り道を狙っても良い。
「腹減ったぜ。ラーメンでも食いてェな」
 センサーが言い、男も頷きながら、また伸び上がって、六花
館の様子を窺った。
 
 
                     「八、 コマチの探し人」に続く


2007.1.15
久々の連載再開です。テキ屋な二人組はボーガンとセンサーの
二人でした。
でも、冗談抜きでテキ屋さんは大変なお仕事だと思いますよ…。
たこ焼き食べたい。焼きソバ食べたい。チョコバナナ食べたい。