〜カンナ町二丁目島田道場・2.5〜



        
       六、 不審者現る


午後七時。
久蔵は窓際に立ち、ブラインドの羽根を僅かに広げた。
しとしとと降りしきる雨の中、息を潜めている何者かの気配を感
じる。
一人──二人だ。
相変わらず客のいない店内で、コマチのババ抜きの相手をしてい
た平八が振り向き、尋ねた。
「どうしました?ゆうたろうの物真似ですか?」
すかさずコマチが突っ込みを入れる。
「ゆうたろうは物真似する人です。物真似する人を真似するんです
 か?」
「それはなかなか高等技術ですね」
呑気な応酬を遮り、久蔵は言った。
「外に誰かいる」
平八の顔から、笑みが消えた。
キクチヨにコマチの相手を任せると立ち上がり、久蔵の傍らに寄る。
「不審者ですか」
「もう三十分近く、気配が動いていない」
「この店に御用ですかね」
だとしたら、何者だろう。
平八の問いには応えず、久蔵はブラインドの隙間に目を凝らした。
姿は見えない。だが、間違いなく闇の中から、何者かがこちらの
様子を窺っている。
久蔵が店にいたところを四人組の男たちに襲われ、不本意にも連
れ去られた事件から二週間。またぞろ、あの連中がやって来たかと
神経を尖らせる二人の前から、不意に、気配が消えた。いや、遠ざ
かったのだ。
途端、店のドアチャイムが鳴り響く。
現れたのは、五郎兵衛だった。
見慣れた黒革のジャケットを着ているが、今日は流石に愛車のハー
レーは使わなかったらしい。
傘立てに濡れた傘を突っ込むと、五郎兵衛は店内をぐるりと見回し、
「何だ、今夜は開店休業か」
と失礼なことを言った。
久蔵に向き直った平八が、声を顰める。
「『誰か』っていうのは、まさかゴロさんのことじゃないでしょうね」
「違う」
「表にいた連中の話か?」
スツールに座るなり五郎兵衛が言い、平八と久蔵は、同時に振り
返った。
ちなみに五郎兵衛が座っているのは、普段平八の指定席になって
いる奥から二番目の隣、つまり一番奥のスツールだった。いつから
か、そこが五郎兵衛の指定席になっている。
「ゴロさん、見たんですか?」
「某が近付いて来たので慌てて隠れようとしたようだが、何しろ街
 灯の下だったしな。丸見えだった」
間抜けた話だ。素人なのだろうか。
「どんな奴でした?」
「『奴』じゃない。『奴ら』だ」
久蔵を見て、にやりと笑う。判っていたのだろう、とでも言いたげ
な顔だった。久蔵は頷いた。
「二人か」
尋ねると、五郎兵衛は軽く手を打ち鳴らし、拍手の真似をした。
「お見事。流石、久蔵殿だ。するーっと背の高い、そうだな、久蔵
 殿くらいの身長のと、やたら小さい男の二人組だ。背の高い方は、
 柴漬けみたいな色の髪だったぞ。小さい方は、帽子をかぶってい
 て、顔がよく見えなかった。……ところで」
五郎兵衛の目が、コマチの上で止まる。
「可愛いお嬢さん、某の顔に何か付いておるか?」
心持ち身を屈め、五郎兵衛が尋ねたが、コマチは返事をしなかった。
店に五郎兵衛が現れた時から、彼女がずっと彼を目で追っていた
ことに、久蔵も気が付いていた。
大人たちに囲まれ、尚もじぃっとコマチは五郎兵衛の顔を見詰め
ていたが、妙に大人びた溜息を吐いたかと思うと、がっかりしたよ
うに首を振った。
「やっぱり、違うです」
「あの、彼女は水判コマチさんと言いまして……」
事情を知らない五郎兵衛に、平八が夕方からの経緯を説明し始め、
久蔵もカウンターの内側に戻った。
警戒しているのか、外の気配は、まだ戻って来ない。
右京のところの人間ではなさそうだ。
少なくとも、あの時見た中には、五郎兵衛が言うような外見の男
たちはいなかった。街灯の下で張り込むような間抜け具合も、プロ
の仕事ではない。
久蔵は、冷蔵庫からジンのボトルを取り出した。スマートな緑色の
ボトル。五郎兵衛のためにキープしてある、タンカレー・ナンバー
テンだ。
大道芸人として日本各地を渡り歩いている五郎兵衛は、同じ常連客
の平八に比べると、来店する頻度は低い。が、顔を出せば閉店まで、
ジンを前にカウンターで根を生やしていることが多かった。
『流浪の人生が楽しいのは、帰る場所があってこそだ。拠りどころ
 なぞ要らんと思うのは、若いうちだけよ』
以前、七郎次に向かって五郎兵衛がそう話しているのを聞いたこと
がある。
それならせめて好きな銘柄で労おうと、七郎次が特別に用意したの
だった。
タンブラーに氷を落とし、タンカレーとトニックウォーターを注い
でステアする。辛めに仕上げたジン・トニックを出す頃には、平八
の説明も終わっていた。
「なるほど……だとすると、外にいた連中は、お嬢さんの絡みかな」
カウンターに片肘をつき、五郎兵衛が呟く。
「名門私立の理事長の孫ともなれば、悪いことを企む連中もいるで
 しょうしね」
同意する平八の肩越しに、キクチヨを相手に笑い転げるコマチが
見えた。
店から彼女が出て来たところを誘拐でもするつもりなのだろうか。
コマチが誰を待っているのかは知らないが、その相手が見つかっ
たとしても、それでめでたしめでたしとは、いかないらしい。
「よくよく厄介事に好かれる店だ。バーテンダーも楽ではないな」
五郎兵衛はそう言って笑い、美味そうにタンブラーの酒を煽った。


                     「七、 悪人は企む」に続く


2006.12.25
キュウちゃんが「ゆうたろう」を知っていたら、ちょっと意外です。
あまり関係の無い話ですが「タンカレー」をネットで検索すると、
「牛タンカレー」が出て来ます。美味しいので、仙台に行かれましたら
お土産にどうぞ(←仙台出身者)