〜カンナ町二丁目島田道場・2.5〜



        三、コマチ、キクチヨに会う

午後五時半。
柔らかな女性ヴォーカルが、照明を絞った店内を満たしていた。
磨き込んだグラスが触れ合う音。
気の置けない客同士の話し声。時折上がる笑い声。
そして、彼らを送り迎える、ドアチャイムの音。
六花館の夜は、そうして過ぎて行く──筈、だった。普段ならば。
カクテル用の下準備を終え、久蔵は顔を上げた。
今宵の六花館は、普段とは一味も二味も違う。
フロアにいるのは、常連の平八と、五歳の幼女の二人だけ。その
幼女──コマチは、一番奥のテーブルに陣取り、先刻からきゃあ
きゃあと大喜びしている。
「すごいすごい!面白いですー!」
コマチの向かいでは、先刻から平八がトランプを使ったテーブル
マジックを見せている。大方、五郎兵衛に手ほどきを受けたのだろ
うが、元が器用なせいもあって、なかなかの腕前だった。
「もっと!もっと何か見たいです!」
テーブルに身を乗り出し、コマチがねだる。
平八は「そうですねえ……」と暫し思案していたが、ふと、何やら
思いついたらしく、伏せてあったトランプの山をくるりと引っ繰
り返した。
「コマチさん、このトランプを表向きのまま、混ぜてもらえます
 か?」
「表向きで?何のカードか、見えちゃってもいいの?」
「ええ」
頷くと、今度はカウンターの内側に立つ久蔵に尋ねた。
「すみませんが、紙とペンはありますか?」
久蔵は、手近なメモ用紙とボールペンを取った。持って行こうと
して、止められる。
「久蔵殿も手伝ってください。コマチさん、よく混ぜましたか?」
「はいです!」
表向きのトランプが、テーブルいっぱいに広がっている。平八は、
ペンを持ったままの久蔵に向かい、言った。
「まず、1から10までの好きな数字を考えてください」
自分が巻き込まれるとは思っていなかった久蔵は、面食らったが、
付き合うことにした。客も来ないことだし、良い暇つぶしになりそ
うだ。
「どうです?考えました?」
頷いた。
「じゃあ、その数字を2倍して、6を足して下さい」
「……足した」
「では、その答から、最初に考えた『好きな数字』を引いて下さい。
 出た答を、紙に書いてもらえますか?」
言われるままに、答の数字を書き付ける。と、平八は急に真顔に
なり、テーブル上のトランプに目を落とした。
「久蔵殿が出した答は……多分……」
一枚抜き出す。
「これですね?」
スペードの3だった。久蔵は、片眉を上げた。
「どうです?」
にやにやと平八が笑っている。
メモをかざして見せた。──『3』。
コマチの口が、ぽかんと開いた。
「……すっごーい!どうやったですか?魔法?平八さん、魔法使え
 るですか?」
「さあ、どうやったんでしょうね?」
はぐらかされ、憤然と種探しを始めたコマチを残して、平八は、
カウンターの指定席に移動した。久蔵を見上げ、笑う。
「ご協力感謝します。何か冷たいもの、もらえますか?アルコール
 低めの奴で」
久蔵はアイスボックスを開けた。冷えたグラスを取り出す。
氷を入れたタンブラーをカンパリと炭酸水で満たし、スライスオレ
ンジを落とす。カンパリ・ソーダ。
「いただきます」
美味そうに喉を鳴らし、一気に半ばまで飲み干す。その背後で、
「これ、何?」
突然声が上がり、平八はむせた。すかさず久蔵が放り投げたお絞り
で口元を拭い、振り返る。
「……鼻から出るかと思った。何を見つけたんです?」
「これ。この銀色の箱」
平八が担いで来たジェラルミン・ケースだった。中に入っている
代物を知っている久蔵は、僅かに顔を顰めた。
「それは……そうか。ちょうど良いかもしれない」
スツールから滑り降り、平八はケースの蓋を開けた。
中から取り出した物を、空いているテーブルの上に載せる。
「機械……?どこかで見たことがあるような、ないような……」
「ヒント。車の中にあります」
「あ、判った!カーナビ!」
「ピンポーン。今、面白い男に会わせてあげますからね」
嬉々として電源ケーブルを繋ぐ平八を横目に、久蔵は回れ右をして
家に帰りたくなった。
カーナビの本体にNASA製の人工知能を搭載した、最先端A.I
『キクチヨ』。どうにも久蔵は彼が苦手だった。
何しろ、そのキクチヨと来たら──。
電源が入った。システムが立ち上がり、液晶画面に、鎧兜を被った
男の頭が映る。
途端、ガラガラといかつい声が、響き渡った。
『何でェ、また六花館で飲んでやがんのか?飽きねェなあ、おめェ
 もよ!』
コマチの口が、再びぽかんと開いた。
『おおっ?今日はまた、えらくちっこい嬢ちゃんが一緒じゃねェか。
 ヘイハチよう、ついに機械じゃ飽き足らなくて、ロリ……』
「電源を落としましょうか?」
平八の指が、スイッチに伸びる。キクチヨが話を逸らした。
『嬢ちゃん、俺はキクチヨってんだ。名前、何て言うんだ?』
「コマチ、だよ」
『コマチ坊か。いい名前じゃねェか』
恐るおそるモニタを覗き込んだコマチだったが、そこに映る『キク
チヨ』の顔を見るなり、満面の笑みを浮かべた。
平八を見上げ、尋ねる。
「キクチヨと話しても、いい?」
「いいですよ。キクチヨ君は、まだお子様なので、色々教えてあげ
 てください」
「お子様?」
『おい、ヘイハチ!余計なこと言うなよ!コマチ坊も年上に向かっ
 て呼び捨てたぁ何だ!キクチヨさん、とかキクチヨ様、とか、何
 か色々あんだろうが』
「じゃあ、キクの字」
『かーっ!それで妥協したつもりかよ!』
ひとしきりぼやいたキクチヨは、カウンターに立つ久蔵に気付くと
『おう』と声をかけた。
『久しぶりだな、元気か?えーと……』
名前を思い出そうとしているようだ。いっそ綺麗さっぱり忘れて
欲しい久蔵は、明後日の方を向いた。
兜の頭を傾げ、キクチヨは考え込んでいたが、どうやら思い出し
てしまったらしい。
『そうだ!ビッ……』
最後まで言わせまいと、平八がスピーカーを両手で塞ぐ。
「命が惜しかったら、余計なことは言うんじゃありませんよ?キク
 チヨ君?」
囁く頬が引き攣っていた。
コマチが、首を傾げる。
「『ビッ』て、何?」
「コマチさんは知らなくて良いんですよ。悪い言葉は真似しちゃい
 けませんからね?……って久蔵殿、鋏!鋏で何しようってんです
 か!」
キクチヨの電源ケーブルに、今まさに、鋏を入れようとしていた久蔵
は、憮然とした顔で──相当見慣れている者でなければ判らない
ほど、非常に僅かな変化なのだが──応えた。
「ケーブルを切る」
「やめて下さい!政宗師匠に何て謝れば良いんですか!」
「ガラクタは粗大ゴミに捨てたとでも言え」
「勝手なこと言わないで下さいよ!」
頭上で始まった争いをよそに、コマチはテーブルの上のキクチヨに
顔を寄せた。
「キクの字はまだお子様だから、使って良い言葉と悪い言葉の区別
 が付かないんですね。私が教えてあげます」
「あのなあ……俺はこう見えてもスパコン並みの機能をだなあ」
「美しい立ち居振る舞いは、一日にして成らず、です。姉様もそう
 言ってました!」
張り切るコマチと、ぶつぶつ文句を垂れる自称『スパコン並み』の
キクチヨ、そして殺伐としたせめぎ合いを続けている平八と久蔵。
雨脚はますます強く、六花館は未だ閑古鳥が鳴いていた。


                     「四、 七郎次の憂鬱」に続く


2006.11.1
ヘイちゃんがやった「数字当て」マジックのタネをご存知の方、
コマチには秘密にしておいて下さいね(笑)
キクチヨが言いかけた、『ビッ…』の正体は、いずれ出て来ます。
キュウちゃんの秘密・その1です。