〜カンナ町二丁目島田道場・2.5〜



        一、 キララとコマチ(前編)


冷たい晩秋の雨が、一週間、降り続いていた。
都内にあって、まるで孤島のようなカンナ町でも、商店街の方へ
足を向ければ、クリスマスのディスプレイが目に付くようになった、
11月下旬。
学校から道場へと急いでいた勝四郎は、その通り道にある女子高
の前で、突然、駆け出して来た少女に呼び止められた。
「あの、すみません!」
どきりとした。この声は。
傘の柄を握り締め、勝四郎は唾を飲み込んだ。
「……は、はい」
振り返る。
赤い傘の下、見上げる少女と目が合った。口から心臓が飛び出る
かと思った。
キララさん──!
聖ミクマリ学園二年、生徒会長の水分(みくまり)キララ。
先日、またもや情報通の同級生から聞いたところによれば、キラ
ラは学園の理事長の孫娘だという話だった。とはいえ、彼女が生徒
会長の座に就いているのは、肉親の威光によるものではない。あく
までも、高潔でたおやかな、彼女の人柄に皆が惹かれてのことだと
聞き、ますますキララへの思慕を深めた勝四郎なのだった。
──が。
あれから、告白はおろか、声をかけることすら出来ずに更にひと月
が過ぎてしまった。
その憧れの君が、一体何用だというのだろう。
「どうか、なさいましたか」
声が裏返らないよう、細心の注意を払いながら尋ねる。キララは、
何事か思い詰めたような顔で勝四郎を見上げ、言った。
「小さい女の子を、見ませんでしたか?その……、幼稚園くらいの」
「幼稚園児……ですか?」
もしや何処かで自分を見初めてくれていたのでは、と、あらぬ期待
を抱いた勝四郎は、内心の落胆を悟られぬよう、必要以上に硬い
表情で応えた。
「いや、申し訳ないが……」
「そうですか……」
キララの表情が曇る。どうやら、面倒なことが起こっているらしい。
「失礼しました」と頭を下げ、また駆け出そうとする彼女を勝四郎
は呼び止めた。
「あの……!」
キララが立ち止まる。振り返った彼女の傘から、水滴が流れ落ちた。
「人をお探しなら、私も一緒に探しましょうか」
口にして、自分で驚いた。まさか、キララ本人を目の前にして、
これほど簡単に言葉が出て来るとは。
キララの目が、大きく見開かれた。
「お願い、出来ますか?」
「勿論。それで、どなたをお探しなのでしょうか」
「妹です。コマチと申します」
突然強くなった雨が、二人の傘を叩いた。

       × × ×

同じ頃。
カフェ『六花館』マスター、七郎次は困惑していた。
生憎の天気のせいで、ここ数日、店は閑古鳥が鳴いていた。こう
なったら、コーヒー一杯の雨宿り客だろうが、ツケをためこむ常連
客だろうが、何でもいいから来てくれないだろうか、と思ったのは
事実だ。
が、流石にこれはどうだろう。
窓際のテーブルで一人、ホットミルクを飲む少女──幼女を見遣り、
七郎次はそっと溜息を吐いた。
──だからって、五歳児はないでしょ。
かろん、とドアチャイムが音を立てた。雨音と共に、男が一人、
店に入って来る。
久蔵だった。
まだシフトの時間には早いため、バーテンダーの制服ではなく、
赤いロングコートに黒のハイネックというド派手な私服姿だった。
幼女がカップから顔を上げ、目を丸くする。
「休んでいるところに、悪かったですね」
「どうせ起きていた。電話で言われたものは持って来たが……」
手にしていた紙袋を七郎次に手渡しながら、久蔵がちらりと件の
幼女に目を向ける。
その瞬間、幼女が久蔵の頭を指差し、叫んだ。
「きんきらきん!」
久蔵の体が、斜めに五度、傾いた。


雨の中、黄色い傘を広げ、その子供は六花館の店先に立っていた。
初めは、親と待ち合わせているのだろうと思ったのだが、待てど
暮らせど迎えは現れない。
30分ほども、そうしていただろうか。
「誰か、迎えに来るのかい?」
流石に心配になって七郎次が声を掛けると、彼女はくるりと利発
そうな目を上げ、言った。
「迎えを待ってるんじゃないです。このお店に来る人を、待ってる
です」
常連客の誰かだろうか。
ひと通り、顔を思い浮かべてみたものの、こんな小さな子供に関
係のありそうな客は思いつかなかった。
名前を聞いてみたのだが、子供は「知らない」と、首を振った。
「でも、会わなきゃいけないのです!」
そこだけきっぱりと、強い口調で言い切り、傘を担ぎ直す。どうも
何か事情がありそうだ。
おまけに、時折吹く強風のせいで、傘は殆ど役に立っていない。
肩からかけたバッグも制服もびしょ濡れで、傘を持つ手が寒さで
赤くなっていた。
「風邪でも引いたら大変だ。とりあえず、中にお入りなさい。うち
のお客さんなら、いずれ来るでしょう」
子供を暖かい店内に招き入れ、七郎次は自宅に電話をかけた。丁度
久蔵が家にいた。
「すみませんが、バスタオルと着替えを持って来てもらえませんか」
電話を切って、待つこと五分──そして、今に至る。
 


                     「キララとコマチ〜後編〜」につづく


2006.10.10
もうええ加減にせえよ、と思われたかもしれませんが、島田道場2
です。本の1巻からの続きにはなっておりません。オンラインの2と
2巻は、ちょっと違う話になりますので、ご了承ください。
というわけで、はじまりはじまり〜〜〜。