うなじの記憶


夜を照らし、篝火が爆ぜる。
揺れる炎を前に、カンベエはもう小一時間も黙り込んだまま口を
開かず、その傍らに腰を下ろすシチロージもまた、無言だった。
会話がなくとも、不思議に気まずさはない。
10年前、戦乱の中で生き別れるまで、幾度もこんな時間を過ごし
た。負け戦続きで、味方を失ってばかりだったから、二人きりでい
ることが多かったように思う。
あの頃、息遣い、仕草ひとつで、シチロージにはカンベエの考え
ていることが判ったらしい。
昼も、夜も──戦地でも、狭い夜具の中でも。
あれから、10年。
今でも、彼は全てを判っているのだろうか。 
パキン、と音がした。シチロージが手元の枝を折り、炎の中に放
り込む。その横顔を、カンベエは見遣った。
シチロージは、カンベエと離れていた十年のうち、半分の時間を
止めた。
その事実が、今、目の前にある。
しっとりと水を含んだ白い肌と、細い顎。
涼しげな目元。艶のある金色の髪。
何もかもが、昔のままだ。少なくとも、そう見える。
だが──それでも、5年の空白は消せない。
突然、小さくシチロージが笑った。
「……何だ?」
尋ねるカンベエを見ることなく、炎を見詰めたまま、シチロージ
は応えた。
「いえ、相変わらずだと思いまして」
「儂がか」
横顔で頷く。
「13年前──私にとっては8年前ですが──にも、カンベエ様は
 迷っておいででした」
「そうだったか」
「気になりますか?私が変わってしまったのではないかと」
言い当てられ、ぎょっとした。気配を察して、またシチロージが笑う。
押し殺した密やかな笑い声に、下腹部が熱を孕むのが判った。
「そんなに気になるなら、ご自分で確かめてご覧になれば良いでし
 ょう」
シチロージが、そう言って首を傾げた。剥き出しの、白いうなじ。
炎に照らされ、温められて、仄かに赤く上気したそれが、カンベエ
の記憶の底で小さな火花を生む。
ああやはり、とカンベエは思った。
この聡い青年は、何もかも判っている。
途切れた時間を前に動けないカンベエを尻目に、鮮やかに溝を飛
び越え、もう一度、二つの時間を結び直す。
この手を伸ばして、抱き寄せようか。
あのうなじに、顔を埋めようか。
 
伸ばした手が、シチロージの肩に触れた。



                                了


2006.9.19
『稲負鳥』の橙様から頂いた素敵なカンシチ絵に、恥ずかしながら付けさせて
頂きました。
シチさんのうなじは綺麗で良い匂いがしそうです。