〜カンナ町二丁目島田道場シリーズ〜



        八、キクチヨ


政宗が営む時計屋「猫目堂」は、島田道場や六花館とはバス通り
を挟んで向かい合うカンナ町四丁目の端にあった。
すぐ西側を大きな商店街が走っているが、そちらへ移転しような
どとは露ほども考えていないらしい。
理由は簡単で、店が儲かると、おちおち発明もしていられなくなる
から──そう政宗本人から聞いた。
電話を受けて、きっかり10分後。平八は、猫目堂の前に立ってい
た。
土埃に汚れたシャッターが下りている。平八はその脇の狭いドア
を開けた。
ドアと同じ幅の通路が奥に向かって続いている。10メートルほど
も進むと、またもう一つドアがあり、それを開くと、店舗とは別の
建物の中だった。
天井の高い部屋だ。元は二階家だったものを、二階の床をぶち抜
いて、強引に吹き抜けにしている。
天井からは小型のクレーンが吊り下がっていた。壁に操作用の
リモコンが取り付けられている。
四方を取り囲むのは背の高い棚で、工具や塗料、何に使うものか
得体の知れない部品などが乱雑に突っ込まれているが、不思議に
床だけは常に綺麗に片付いていた。
火気を用いる作業では、ほんの些細な油断や不精が、大事故に繋
がることもあるからだ。
部屋の中央に立ち、平八は大声で呼んだ。
「師匠!政宗師匠!平八です!」
衝立代わりの本棚の陰から、
「おう、来たか。こっちだ」
応えがあった。
平八はごくりと唾を飲み込んだ。
──『A.I.に興味はあるか』。
政宗は電話でそう言っていた。
A.I.=Artificial Intelligence(人工知能)。その開発に成功したと
でも言うのだろうか。だとしたら、すごい話だ。
アイボでもアシモでもいい。何なら先行者だっていい。要するに
義体さえ与えてやれば、夢の人工生命体の完成というわけだ。
本棚を回り込み、覗き込む。
痩せた背中を丸め、作業机に向かっている老人が、政宗だった。
蛍光灯の下で振り返り、平八の姿を見とめると、にぃっと笑った。
今時珍しいどじょう髭を生やし、前歯が一本欠けている。仕事の
し過ぎで見えなくなったという右目は眼帯で覆われ、江戸川乱歩の
作品にでも出て来そうな、奇怪なご面相だった。
左目に当てた単眼鏡を外すと、言った。
「面白いもんが出来たぞ。見ろ」
可動式のチェアを引き、政宗は体をずらした。
どれだけ精巧なプログラムを組んだのだろう。あるいは、もう既
に義体まで付けたのだろうか。
嬉々として身を乗り出した平八だったが、そこに鎮座した物を見る
なり、拍子抜けしたような声を上げた。
「は?……これですか?」
「おう。これじゃ」
背凭れが軋むほど胸を張り、政宗は頷く。
「はあ……」
平八は、もう一度それを眺めた。
幅20センチ、奥行15センチ、高さ5センチほどの黒い箱。
その上に載せられた液晶モニタ。
あまつさえ、本体の端にはパナソニックのロゴが入っている。
「あのう……どう見ても、カーナビにしか見えないんですが……」
「鋭いな。さよう、カーナビじゃ」
肯定されてしまった。
困惑する平八に、政宗はにやりと嗤った。
「見た目だけで判断するとは、お前もまだまだ若造だな。カーナビ
 のガワに、A.I.のシステムを突っ込んだ。システム自体はNASAが
 シャトルに載っけようとして躍起になって開発してる奴だ。そん
 じょそこらのオモチャじゃないぞ」
「ちょっと気になるんですが、そのシステムが何故、師匠のところ
 に?」
笑みがますます深くなった。
「蛇の道はヘビ、ってこった」
聞かない方が身のためらしい。
平八は、改めてカーナビ型のA.I.に近付いた。
「スイッチを入れてみても?」
「いいぞ」
本体の端にあるスイッチを押してみた。
ヴン、と微かな唸りを上げて、システムが立ち上がる。液晶に細く
光の筋が現れ、そして──
『おい!何じろじろ見てやがるんでェ!』
がさつな男の声がした。モニタには、プログラムが稼働している
ことを示す数列が流れている。
驚いて、平八はぱっと目を見開いた。
『何だよ、てめェ、政宗のジジィじゃねェな。誰だ。名前を名乗れ!』
「はあ。林田平八です……って!」
反射的に応え、平八は我に返った。
いきなり人に名乗らせるA.I.がどこにいる。いや、それ以上に、
このガラッパチな口調は何だ。
振り向いた平八に、何食わぬ顔で政宗は言った。
「だから言っただろう。そんじょそこらのオモチャじゃないって」
「性能はともかく、この喋り方は一体……」
「パナソニックの仕様だろう。気に入らんか」
「私はどちらかといえばカロッツェリアの方が好きでして……」
「まあ、慣れちまえば気にならんさ」
『何をコソコソ話してんだぁ?おい、赤毛!』
カチンと来た。
「へ・い・は・ち・です!人の名前くらい覚えてくださいよ」
『おう、悪かったな。ヘイハチ、そんでお前、何しに来たんだ?
 こんなクソラボによ……いてっ!』
政宗がゴツンと本体の箱を小突いた。精密機械ではないのだろうか。
「少し黙れ、キクチヨ。お前を預けるのに呼んだんだ」
『あ?』
「私に、ですか?」
一人と一台は同時に問い返した。
政宗が真剣な面持ちで頷く。
「こいつ……キクチヨってんだが、こいつはまだ未完成でな。見て
 の通り、モニタには画像が出ねェし、学習機能が付いていても、
 ここにいたんじゃ俺しか相手がいねェから、学習しようもねェ。
 調整も兼ねて、お前さんとこで預かってもらえねェかと思ってな」
「ああ、なるほど。そういうことでしたか」
「頼めるか」
制御プログラムは専門ではないが、嫌いな作業ではない。
「了解です。時間はどれくらい、頂けますか?」
「年寄りの道楽で作った代物だ。特に期限はねェよ」
『おい!ジジィ!未完成って何だ!てめ、俺様に失礼だろうが!』
「うるせェ」
また拳骨。政宗は平八に向き直ると、潜めた大声で言った。
「もしコイツが言うこと聞かなかったら、構うこたねェ。どっかの
 車に積んで二束三文で売り飛ばしちまえ」
モニタの文字列が乱れた。倍の速度で流れ出す。
『ちょっと待て!売り飛ばすって今言ったか?ヘイハチ!いや、
 ヘイハチ様!まさか本気で売っちまったりしねェよな?』
平八は苦笑した。
「いい子にしていられたらね」
苦労と楽しみはいつも背中合わせだ。とんでもないA.I.もあった
ものだと思うが、間違いなく退屈はしないだろう。
「師匠。基本的な扱いだけ、まず教えてもらえますか?」
手近な紙とペンを取り、平八は言った。


平八が『キクチヨ』の入った段ボールを抱え、自宅のアパートに
戻ったのは、夜中というよりむしろ明け方に近い時刻だった。
勤め先に近い、築25年の安アパート。古いが、そのせいで滅多に
入居したがる者がなく、一部屋分の値段で二部屋を貸してくれる、
というのが決め手になった。ここに住み始めて、もう三年になる。
二階の角部屋とその隣の部屋が、平八の住処だった。
寝起きに使っている角部屋のドアを開ける。八畳の和室と、六畳
のダイニングキッチンが続いた1DKだ。
和室の座卓の上に『キクチヨ』を取り出す。今は電源スイッチを
切ってあるので、彼はうんともすんとも言わなかった。
平八は窓に近付いた。こもった部屋の空気を入れ替える。
風が冷たい。
ぶるりと身を震わせ、室内を振り返ると、留守番電話の赤いラン
プが点滅していた。
「……何だろ?」
再生ボタンを押す。
電子音が『メッセージは、3件です』と告げ、再生が始まった。
2件は、何も入っていなかった。留守電メッセージが流れた途端、
切ったのだろう。
最後の3件目に、漸く声が入っていた。
『ああ、そのう……五郎兵衛だ』
「ゴロさん?」
六花館に置いて来てしまった男の顔を思い出した。
五郎兵衛は、2、3秒ほど黙り、
『また、こちらから電話する』
とだけ言って、電話を切っていた。
メッセージが空になっても、平八は暫し電話の前から動かなかっ
た。
前の2件も、彼だろうか。何か、話したいことがあったのかもしれ
ない。
平八は、電話に背を向ける格好で座り込んだ。
座卓の上の、喋らないキクチヨと向かい合う。
「……何でしょうね、一体」
短い電話の中の、長い沈黙が気になっている。
そして、もっと気になるのは、自分がそれを知りたいと思ってい
ることだった。
胸の奥が騒つく。悪い予感ではない。苛立ちでもない。
ただ、波立っている。
平八は、座卓に頬を押し付けた。
「ねえ、君はどう思います?……キクチヨくん」
混乱は、やがて抗いがたい睡魔と摩り替わり、平八はとろとろと
眠りに落ちて行った。  


                     「九、 夜──それぞれ」に続く…かも?


2006.9.24
また長いので2分割しようと思ったら、切るに良い場所が見つか
らず…仕方なく全文一気に載せました。長くてホントすみません。
とりあえずこれで7人全員揃いました!