〜カンナ町二丁目島田道場シリーズ〜



        七、 夜・六花館 (後)


居合わせた全員の目が、声のした方を向く。
店の入口を塞いでいたサラリーマン二人が気圧されたように道を
空けた。
勘兵衛だった。
外出していたのか、薄手のセーターと黒のコーデュロイのパンツ、
その上に濃緑のジャケットを羽織っている。
重いリーガルの踵が立てる靴音。
「漸く、オーナーのおでましですね」
平八の軽口を、床に這いつくばった男は聞き逃さなかった。
芋虫のように体をくねらせ、勘兵衛を見上げ懇願する。
「あんたが一番偉いのか?頼む、これ解いてくれよ!あんたんとこ
 の従業員にえらい目に遭わされてんだ!」
「ほう……?うちの従業員に?」
「ああ。そこの金髪の兄ちゃん二人だ。こっちは酒飲みに来てやっ
 たってのに、この扱いは何だよ!」
「ふむ……」
顎髭を撫でながら、勘兵衛は男の脇に片膝をついた。
「時に聞くが、おぬし、今手持ちはいくらだ?」
「あ?」
虚を突かれ、男が間抜けた顔で問い返した。
「有り体に言えば、財布の中身だ。いくら持っている」
「何でそんなこと……」
勘兵衛は、男の目の前に開いた右手を突きつけた。
「この店で飲みたいなら、まず一人頭これくらいは必要だ」
「ごせん……」
「馬鹿を言うな。五万だ」
平八が小さく吹き出し、慌てて口元を押さえた。
男が食って掛かる。
「嘘つけ!こんなしみったれた店で五万だと?」
「本当だ。俺がいくらで、この二人を雇ってると思ってる。うちは
 人選が厳しい分、給料も高いんだ」
七郎次は久蔵と目を見交わした。表情にこそ出さないが、久蔵も
内心は笑い出したいに違いない。
七郎次も久蔵も、外見だけなら完全に外人だ。尤も、給料らしい
給料が出た記憶はないが。
勘兵衛の嘘八百は続く。
「本当は六本木に店を構えるつもりだったんだが、たまたま、外国
 人客向けの店をこの辺りに出して欲しいというオファーがあった。
 お陰でこの通り、客には困っていないがな」
言いながら、五郎兵衛を指す。背が高く、がっしりとして、顔に
傷痕のある黒人、と来れば、確かにカンナ町よりは六本木の裏道の
方が相応しい。
勘兵衛のでまかせを受け、五郎兵衛が英語でぶつぶつと何やら呟
いた。スラングでクソッタレとか何とか、そのあたりの言葉だった。
サラリーマン達の顔が引き攣る。とんでもない店に入り込んでしま
ったと激しく後悔しているのだろう。
そこに勘兵衛が、とどめの一撃を食らわせた。
「六人で三十万。言っておくが、酒とつまみは別料金だ。どうする。
 手持ちが無いなら、トイチで貸しているところを紹介するが?」
「いいえ、結構です!」
完全に震え上がった一団は、中年男を引っ担ぐようにして、退散
した。
ドアが閉まる。
平八が、我慢し切れず爆笑した。
「面白い寸劇を見せて頂きましたよ。やあ、すっきりした!」
「支配人は不満そうだが」
勘兵衛が七郎次の顔を見て、言った。
「何か言いたいことがありそうだな?」
今更だった。
これで明日には、六花館にまつわる妙な噂が囁かれるに違いない。
「オーナー自ら店の評判を落として、どうなさるおつもりで」
「そこは任せる。評判が落ちても売上が落ちなければ構わん」
「……承知」
盛大な七郎次の溜息に、場に笑いが零れる。
そこに、微かな振動音が混じった。
「ひゃっ」
平八が飛び上がる。鳴っていたのは、ヒップポケットに突っ込んだ
彼の携帯電話だった。
「はい……ええ、そうです。……ああ、政宗師匠!」
怪訝そうな顔が、一瞬で笑みに変わる。平八が口にした名前に、
七郎次も覚えがあった。
この店にも一度、コーヒーを飲みに来たことがある。隣町で時計
屋を営む隻眼の老人だ。
といっても、時計屋は表向きの商売で、実際は日がな一日、妙な
発明ばかりしているらしいが。
その老人が、こんな夜中に何の用だろうか。
「珍しいですね。どうしました?……え?何ですって?」
声が、跳ね上がった。ぱっと頬に赤味が差す。何やら興奮するよう
な話だったらしい。
「ええ……ええ、判りました!すぐ、すぐに行きます!時間?十分
 で着きますから!待っていてください!」
電話を切ると、平八はまず五郎兵衛を見上げ、言った。
「すみません、急用が出来てしまって。パンフレットは持ち帰っ
 ちゃって構いませんから!また、電話します!」
七郎次に振り返る。
「ゴロさんの分も、私の払いに付けておいて下さい。明日の朝、払
 いますんで!じゃあ皆さん、おやすみなさい!」
つむじ風のように、平八は店を出て行った。
「ああまた……」
がっくりと五郎兵衛が肩を落とす。見かねて七郎次は声をかけた。
「まあまあ、電話すると言っていたことですし……そう気を落とさ
 ずに」
「電話……」
ますます五郎兵衛の肩が落ちる。床に頭がめり込みそうな声で、
五郎兵衛は言った。
「かけると言って、かけて来た試しがないんだ、これが」
「ああそう……」
予想通りの結末に、七郎次は、なす術も無く天井を見上げた。
 
 


                     「八、 キクチヨ」に続く


2006.9.22
というわけで、前後編でお送りしました。長々と失礼致しました!
そして、はっと気付いたら自分の誕生日でした(笑)
また一年、ヲタクな人生を歩みます。