〜カンナ町二丁目島田道場シリーズ〜



        五、 カツシロウ

『私は先生のように生きたいのです!』
一ヶ月前、島田道場に飛び込んで来た少年──勝四郎はそう叫び、
居合わせた師範と師範代を絶句させた。
勝四郎の生家、岡本家は、代々政治家や官僚を輩出している名門
である。
長男次男は警察官僚、三男もT大に進み、当然のように、末っ子
の勝四郎にも大いに期待が寄せられていたわけだが、冒頭の一言で、
彼はそれらを見事に裏切ったのだった。
『名家の子息が、わざわざ好きこのんで、こんな貧乏道場に通わず
とも良かろう。もっと立派な道場がいくらでもあるだろうに』
そう言って、勘兵衛は弟子入り志願をやんわりと断ったが、
しかし勝四郎は諦めなかった。
『私は、自分のこの目を信じています。貴方こそ誠の剣士、真の師
匠です。例え貧乏だろうが、建物を修繕する金がなかろうが、門下
生が一人も見当たらなかろうが、道場訓の漢字が間違っていようが、
そんなことはどうでも良いのです』。
師範代は笑いを堪えるために顔を背け、寛大な師は、苦笑いで失言
を聞き流した。
その後も、道場に通い詰めること一週間。
根負けした勘兵衛は、遂に勝四郎の入門を許した。まさしく粘り
勝ちである。
更に、この一週間の日参は、勝四郎にとって想定外の副産物まで
生み出した。
高校から道場へ向かう途中で見かけた女子高生に、一目惚れして
しまったのである。
髪の長い、清楚で気品のある美少女だった。
情報通の同級生から『あれは聖ミクマリ学園の生徒会長、キララ
様だ』と教えてもらったはいいが、どうしても声を掛けることが出来
ない。
持ち前の粘り強さで物陰からこっそりと見詰め続け、ストーカー
一歩手前の日々を送っている勝四郎なのであった。

島田道場に着いたのは、午後二時前。いつもより大分早い時刻だ
った。普段なら六時限目まであるところが、午前中で授業が終わっ
てしまったのだ。
出来ればキララの下校時刻まで待って、今日こそは声を掛けようと
決めていたのだが、間の悪いことに五郎兵衛に見つかってしまった。
岡本勝四郎、色々な意味で、一生の不覚である。
「どうせ勘兵衛殿はまだ母屋の方だろう。お前も来るか?」
五郎兵衛に誘われ、勝四郎は戸惑いながらも「はい」と頷いた。
道場には毎日のように足を運んでいるが、母屋に上がるのは初めて
のことだ。
通りに面した門をくぐり、飛び石を配した狭い小道を進む。両脇には、
季節ごとに花実を付ける木々が繁っているが、どれも庭師が手入れ
をしている風はない。
以前、あまりの荒れように、
「自然のものは自然に任せる、というのが先生のお考えなのでしょうか」
と、七郎次に聞いてみたことがある。
七郎次は少し困ったような笑みを浮かべ、
「それほど高尚なものではないと思うが……まあ、禅の心という奴かも
しれない」
と応えた。
入ったばかりの門下生に、まさか「金がなくて庭師も呼べない」と零す
わけにもいかず、咄嗟に誤魔化した──というのが真相なのだが、一途
な勝四郎は、この庭の荒れ方には禅の心があるのだと信じている。
左手に道場を見ながら、更に奥に進むと、平屋造りの母屋の玄関に
行き当たった。道場と母屋は、渡り廊下で繋がり、丁度、門を頭にL字
を逆さにしたような配置で建っている。
五郎兵衛がカラリと玄関の引き戸を開け、誰何した。
「ごめん。勘兵衛殿は、ご在宅かな」
しんと静まり返った家の中に、バリトンの声が響き渡る。
応えはない。
「勘兵衛殿?ご不在か?」
再度、五郎兵衛が尋ねた時だった。
玄関からまっすぐに伸びる廊下の奥に、影が落ちた。
「……!」
咄嗟に勝四郎は身構えた。さっと背筋が粟立つ。この気配は、勘兵衛
ではない。七郎次でもない。
──では、誰だ。
「まあ、待て」
おっとりと五郎兵衛が止め、
「やあ、久蔵殿だったか」
破顔した。
「キュウゾウどの……?」
五郎兵衛の視線の先へ目を戻し、勝四郎は息を呑んだ。
影は、人に姿を変えていた。ゆっくりと、こちらへ近付いて来る。
どんな歩き方をしているのか、全くと言っていいほど、足音がしない。
見たことのない男だった。
半端な癖のある金髪と白い肌。ほっそりとした肢体を、光沢のある
黒のシャツと濃い色のジーンズに包んでいる。
「島田は出掛けている。三十分もすれば、戻るだろう」
勝四郎と五郎兵衛の前で足を止めると、面倒臭げに久蔵は言った。
間近で彼を見上げ、勝四郎はぎくりと身を強張らせた。
切れ長の目元。その瞳は、赤褐色だった。
「では、上がって待たせてもらっても構わんか?」
五郎兵衛の問いに、僅かに首を傾け、踵を返す。どうやら『上がれ』
ということらしい。
彼の後に付いて、勝四郎と五郎兵衛は家の奥へと進んだ。古い日本
家屋らしく、廊下の右側は古い木枠のガラス戸で、その向うは、これ
また荒れ放題の裏庭だった。
落ち着かない気持ちで、庭と、前を歩く男の金色の頭を交互に見てい
た勝四郎は、久蔵が突然立ち止まったことにも気付かず、危うく背中
に追突しかけて、たたらを踏んだ。
一瞬鼻先を、冷たく澄んだ、香のような匂いが掠めた。
「ここで、待っていろ」
左手側の障子を開け放つ。そこは、綺麗に片付いた八畳ほどの和室
だった。客間として使っているらしい。
すぐに出て行こうとする久蔵を、五郎兵衛が引きとめた。
「久蔵殿も、少し話でもして行かんか」
ちらりと久蔵は振り向いたが、
「……いや、俺はもう少し寝る」
「そうか、寝ていたのか。それは悪いことをした」
さして悪びれる風もなく五郎兵衛は詫び、久蔵は今度こそ部屋を出て
行った。現れた時同様、やはり足音がしなかった。
「ご存知なのですか?」
「久蔵殿か?ああ、七郎次殿の店で、たまに顔を会わせるほどの付
 き合いだがな。そうか、お主は初めてか」
勝四郎は黙って頷いた。
頭の芯が、未だ少しぼんやりしている。ガラス越しにとても綺麗
な生き物をみたような、そんな気分だった。
「キュウゾウ殿……と言うのですか……」
この家に住んでいるのだろうか。勘兵衛や七郎次とは、どういう関係
なのだろう。
気付くと、五郎兵衛が、にやにやと含みのある笑みを浮かべていた。
勝四郎は、眉を顰めた。
「……何か?」
「いや、勘兵衛殿といい、お主といい、どうも島田道場の人間は気
 の多い血統のようだ」
「気の……五郎兵衛殿!」
顔が赤くなる。五郎兵衛がとうとう堪え切れずに声を上げて笑っ
た。   


                     「六、 キュウゾウ」に続く


2006.9.12
ついに出ました。キュウちゃんです(笑)そして悩める青少年、カツ。
島田道場の師弟は、どうやら好みが似ている模様です。