〜カンナ町二丁目島田道場シリーズ〜
四、 ゴロベエ
俵屋オートを出た五郎兵衛は、近場のファミレスで早めの昼食を
済ませた後、カンナ町を大回りする格好で島田道場へ向かった。
平八との約束の時間までは、まだ随分ある。
今日は仕事も入っていないし、久しぶりに勘兵衛の顔を見に寄る
のも悪くないだろう。
途中、和菓子屋でカンナ饅頭を一箱買った。勘兵衛の好物だった
筈だ。
五郎兵衛の仕事は、いわゆる大道芸人というやつだ。最近ではス
トリートパフォーマーという横文字の名前で呼ばれることが多いが、
既に祖国である米国を捨て、日本に帰化した身の五郎兵衛としては、
昔ながらの呼び名の方がしっくりと来る。
クラウンからパントマイム、マジック、楽器に人形遣いまで、何でも
やるが、中でも得意としているのが、本物のナイフを使ってのジャグ
リングだ。ぎらつくサバイバルナイフを操るスリリングな見世物は、
五郎兵衛の生まれた国ではよくある演目だが、ゲームのような作り物
の刺激に慣れた日本人には新鮮に映るのだろう。
生粋の黒人が流暢に語る日本語、それもいささか時代がかった物
言いにも人気が集まり、最近では首都圏だけでなく、地方からの招
待も多くなった。
で、平八である。
愛車のハーレーは、すこぶる調子が良い。タイヤの買い替えも、
会うための口実に過ぎないのだが、あの調子ではおそらく何も判っ
ていまい。
溜息の代わりに、五郎兵衛の口元には温かな苦笑が浮かぶ。
穏やかで、常に笑みを絶やさないあの若者は、身の内に消えない
影を抱えている。
そのせいか、自分に向けられる好意をそうと気付かずやり過ごし
てしまうのだ。
元々、五郎兵衛はそうお節介を焼きたがる方ではない。捨て置こ
うと思えば出来たものを、ついつい気になって、仕事の合間にカン
ナ町まで足を運ぶ──そんな生活が続いている。
「年甲斐もなく、って奴かねえ……」
信号待ちで停車しながら、かぶっていたヘルメットを脱いだ。銀髪を
ほりほりと掻く。
『惚れた、ってことじゃないですか?』
つい一週間ほど前に、七郎次に言われた。勘兵衛の古女房と呼ば
れて久しいあの金髪美人は、やたら人の心の機微に聡く、時折強烈
なジャブをくれる。
あの時は驚いて酒を噴きそうになったが、実際そうなのかもしれない。
何故、メカニックの仕事が好きなのかと以前聞いたことがある。
平八は、にっこり笑って『機械は、きちんと構ってやりさえすれば、
裏切りませんから』と答えた。
多分、あれで参ってしまったのだろう。
保護欲をそそられるようになったら年を取った証拠だ。勘兵衛が
聞けば、何と言うだろうか。
「ん?」
五郎兵衛は、バイクを停めた。
見覚えのある少年がいたのだ。黒い詰襟の学生服をきちんと着込み、
真っ黒な髪も優等生然としている。
勘兵衛の門下生で、確か勝四郎とかいった筈だ。それが、電信柱
に隠れるようにして立ち、そわそわと落ち着かなげな視線を前方に
向けている。
ここから歩いて数分の高校に通っている筈だが、一体何をしてい
るのだろう。
何気なく、彼の視線の方向を見遣った五郎兵衛は、漸くその目的
に気が付いて、にやりと笑った。
「ほほう、そういうことか」
勝四郎が見ていたのは、名門私立女子高の校門だった。
エンジンを切ると、五郎兵衛はバイクを引き摺りながら、勝四郎の
元へ近付いて行った。
「これ、そこの人。何をしているのかな?」
声を掛けられるまで、全く五郎兵衛の気配に気付いていなかった
のだろう。勝四郎は「ひっ!」と妙な叫び声を上げ、一メートルほど
も飛び上がった。
「なっ、ななななにも私は……あ、貴方は確か、先生の……」
五郎兵衛の姿を見とめると、ほっとした表情を浮かべる。
勘兵衛殿のところの弟子だったな。そこの学校に、恋人でも通って
いるのか?」
途端、勝四郎の顔が真っ赤になった。
「ち、違います!キララさんはそんな相手ではありません!」
「キララというのか」
藪を突付いて蛇が出た。
勝四郎は、耳まで赤く染めて唇を噛んでいたが、やおら「失礼しま
す!」と怒ったように頭を下げると、踵を返した。
「こら、こら待て」
慌てて追いかけ、並んで歩く。この方角なら、どうせ島田道場へ
行くつもりなのだろう。
「あそこに、好きな子がいるんだな?」
女子高から充分に離れたところで尋ねると、勝四郎はまた少し赤く
なり、「……憧れです」と答えた。初々しいことだ。
「どんな子だ」
「……綺麗で、頭が良くて、品のある……」
言いかけて、ハッと顔を上げる。
「あの!このことは、先生には、秘密にしておいて下さい!」
「あ?」
必死の形相で詰め寄られ、五郎兵衛は間抜けた声を上げた。
「まだ、剣術も勉強も、何一つ身になっていないのに、女性に腑抜け
になっているとは思われたくないのです。お願いします!」
「お願い、たってなあ……」
五郎兵衛は困惑して空を見上げた。勘兵衛は色恋沙汰には柔軟な
男だし──むしろ逆に慎めと言いたくなるほど、よく男も女も引っ掛け
る──これは、勝四郎自身の性格なのだろう。真面目なことだ。
「お前さんがそうして欲しいなら構わんが、勘兵衛殿は何も気にす
まい。色恋も修行のうちだぞ?」
「修行……ですか」
純粋な若者は、修行と聞いて、何やら思い詰めたような顔をしたが、
世の中の辛酸を舐め尽くして来た大人は、ぐるりと目を回し、また空
を見た。
飛行機雲が一筋、青空を割っている。
「……修行……かねえ、俺も」
呟きは、若者の耳には入らずに消えた。
「五、 カツシロウ」に続く
2006.9.9
お侍言葉を喋る黒人の大道芸人がいたら、多分私はファンになります。
そして、キララ様が通っておられる私立女子高は、『聖ミクマリ学園』です。
毎朝、瞑想の時間があるらしいです。