Appetite (発行誌『Promise』より)



「え?」
 振り向いた顔が幼かった。
 先に年齢を聞いていなかったら、ルフィと同じくら
いか、もう少し下に思ったかもしれない。
「悪い、よく聞こえなかった。何だって?」
 洗い物の手を止めて、本当にすまなそうな顔をする。
 エースは淹れてもらったばかりのコーヒーのカップ
を手に、繰り返した。
「あんたくらいの腕があったら、もっとでかい客船に
だって乗れただろうに、どうしてこんな小さい海賊団
に付いて来たんだ?」
「・・・・・・しかも船長ときたら、これまたえらく手のか
かるクソガキなのに、か?」
「そうそう」
 顔を見合わせて笑い、サンジはエプロンで手を拭い
ながら、エースと向き合う格好で腰掛けた。
胸ポケットから煙草を取り出し、咥える。それはい
かにも手馴れた動作ではあったが、あんな表情を見せ
られた後では、どこか無理矢理背伸びして身につけた
もののような気がした。
 深く煙を吐き出し、サンジは何かを思い出すように
首を傾げる。
「別に船や店の大きさなんかどうでも良かったんだ。
連れ出しに来たのが、あいつだった。だから付いて来
た、っていうのが一番合ってるかな」
「ルフィのせいか」
 サンジは何度か小さく頷いた。
「あいつは俺の夢を笑わなかった。オールブルーの話
を聞くのは初めてだったのに、疑いもしないんだぜ?
絶対そいつを見せてやるから一緒に来いなんてほざき
やがった。あんたの弟は、どうしようもなく強引で我
儘で・・・・・・でも、決めたのは、俺だ」
 きっぱりと言い切って、サンジは目を伏せた。
そうすると今度は、幼さが影を潜め、逆に大人びた、
どこか人形じみた造作が際立った。
綺麗な顔をしていると思う。
航海に出てからというもの、肌の色も髪も千差万別、
様々な人種を見てきたが、それでもこの金髪と色白の
肌はあまり見ない。いずれイーストブルーの血ではな
いだろう。西か、それとも北の出身か。
 頬杖をつき、暫くその顔を眺めていたエースが言っ
た。
「そのどうしようもないガキも、人を見る目は確から
しいな」
 サンジが顔を上げる。エースは、にっと笑った。
「美味い飯食わせてもらってるぜ。俺もあちこちの港
で飯を食ったけど、こんなに美味いのは初めてだな」
 嘘や世辞ではない。サンジの作る料理はどれも絶品
だった。
 バラティエでどれだけ厳しく仕込まれてきたのか、
それは判らないが、彼が天才的な料理人だということ
と、ルフィが彼を欲しいと思った、その判断の正しさ
は判る。
 数瞬、サンジはぽかんとして、コーヒーを啜るエー
スを眺めていたが、やがて笑顔を見せた。照れたよう
な、しかしどこか誇らしげな笑みだった。
「そうか。・・・・・・へへっ、ありがとう」
 その表情を見るうち、ふと悪戯心が湧いて、エース
は「なあ」と身を乗り出した。
「サンジ」
「うん?」
「あんたさえ良かったら・・・・・・」
 俺と一緒に来ないか。そう誘ったら、彼はどんな顔
をするのだろう。
笑い飛ばすだろうか。それとも、少しでも迷う素振
りを見せるだろうか。
 この綺麗な顔が困惑する様を、見てみたい気がする。
「もし、あんたさえ良かったら俺と一緒に・・・・・・」
 突然、エースの声を遮る大音響と共に、デッキへ続
く分厚いドアが突き破られた。
はっと息を飲むサンジに向かって、木片を撒き散ら
しながら男の手が二本、にゅうっと伸びてくる。
「なっ・・・・・・!」
 それはサンジのシャツの胸元を掴んだかと思うと、
一気に収縮を始め、戸口まで彼を引きずり出した。
 鼻が触れるほど顔を近づけ、デッキに立っていた麦
わらの男が言い放つ。
「サンジ、腹減った」
 呆気に取られていたサンジのこめかみに、見る見る
青筋が浮き上がった。
「こ・・・・・・っこの、クソゴムが!」
 痛烈な蹴りがルフィの腹に炸裂した。ドアの大穴が
更に広がる。
デッキの手すりまで吹っ飛び、うずくまるルフィを
冷ややかに見下ろし、サンジは言い放った。
「意味もなく伸びるなと何回言えば判るんだ。てめェ
は脳味噌までゴム製か?転がってる暇があったら倉庫
からじゃが芋と卵とハムを取って来い。それから芋の
皮剥きだ。オムレツを作ってやるから少しは手伝
え。・・・・・・あれ?」
 コーヒーを飲み干して立ち上がるエースに、サンジ
が振り返った。
「もう行くのか?」
「ああ。仕事の邪魔して済まなかったな。コーヒー美
味かった。ご馳走さん」
礼を言い、ドアの大穴をくぐったところで、目の前
を何かに遮られた。無骨な男の手。そしてその手に握
られた刀──三代鬼徹。
 流石に抜刀されてはいなかったが、鯉口から鍔まで
ほんの数センチ覗いた直刃が、陽光を反射して不穏な
煌きを見せている。
「・・・・・・おいおい」
「すまねェな。ちょっと刀の照りを見てたんだ」
 いつからそこにいたのか、ドア脇の壁にもたれて緑
の髪の男が立っていた。彼の口調は静かなものだった
が、その中にちらちらと見え隠れする攻撃の刃をエー
スは聞き逃さなかった。
「ふぅん・・・・・・」
 一歩踏み出すと、デッキの手すりから、ルフィが起
き上がった。
「あー痛ェ・・・・・・」
すれ違いざま、麦わら帽子の鍔の下から睨み上げら
れる。それは、弟が初めて自分に対して向けた敵意の
視線だった。
「いくらエースでも、あいつは渡さねェからな」
「ああ?」
「サンジは俺が見つけたんだ。誰にもやらねェ」
 背後ではこちらの様子を知りもせず、サンジが洗い
物を再開していた。皿がカチャカチャと音を立てる。
 エースは肩を竦めて見せた。
「安心しろ。無理強いは俺の趣味じゃない」
 するりと二人の間を抜け、階段を降りるエースの口
元が笑いの形に吊り上がった。
 人並み以上の女が二人も乗り込んでいるというのに、
船長と副船長、二人揃ってあの美貌の料理人にいかれ
ているらしい。
胃袋を掴み取られた男は弱いのだ。現に自分も掴ま
れかけている。
 ひとしきり笑い、エースは一人ごちた。
「連れて行きゃしないさ。・・・・・・本人が望まない限り
はな」
 だが、もし少しでも彼の心が揺らいだら──その時
は遠慮なく掻っ攫って行こう。
誰のものだろうが、知ったことではない。それが海
賊の流儀だ。
「いいねェ、面白くなりそうだ」
顔を上げると、一杯に風を孕んだ帆の向うに、ぎら
つく夏の太陽が見えた。
獲物は一匹。海賊は三人。
欲しいなら、闘う以外に道はない。


                         了