Invitation 


 重なった唇が熱かった。
 彼の黒い髪から、耳元から、全身から、潮の匂いがした。
 幼い頃から馴染んでいた筈の海。それは今、自分を抱き締めて
いる彼そのものだ。
 二度目は、最初のキスより優しかった。
 傷ついてしまった唇を、舌先で撫でられる。
「ルフィ……っ」
 吐息ごと、飲み込まれてしまいそうだ。
「……」
 彼が囁く。
 その声に、少年ではなく『男』の気配を感じて、サンジは目を
閉じた。

             × × ×

「明日はすっげェ大事な日なんだぞ!」
「は?」
 突然何を言い出したかと、居合わせた全員がフォークを持つ手
を止め、船長に視線を向けた。
 ランチ時の甲板だった。
 天気は快晴、空には雲一つ見当たらない。
 満面の笑みを浮かべたルフィは、まず片手に掴んだハムステー
キを口に放り込み、それから続けた。
「この航海が始まって、明日で丁度一年になるんだ!」
 ルフィにとっての航海は、最も古株のゾロと出会う前、生まれ
育った村を出たところから始まっている。
 尤も、海図も磁石も持たず、風向き任せ潮任せの、航海という
より漂流と呼ぶべき代物だったと聞くが。
「そうか。もうそんなになるのか」
 ルフィが海に出て一週間後にはもう仲間になっていたというゾ
ロは、大きなジョッキからビールを美味そうに飲み干し、ニッと
嗤った。
「ろくでもない一年だったぜ。てめェのせいでよ」
「私はゾロの三日後に仲間になったのよね。確かに、しなくて良
い苦労までさせられたけど、まあ飽きなかったわ」
ナミが苦笑混じりに肩を竦める。ルフィは、からからと笑った。
「だよなー。面白かったよな。きっとこの先の一年も、同じくら
い面白いぞ」
「ホントか?今までと同じくらい、面白いのか?」
 きらきらと目を輝かせ、身を乗り出すチョッパーに、何故かウ
ソップが自慢げに胸を反らした。
「おう!同じどころじゃねェ。きっと、もっと面白い冒険が待っ
てるぜ」
 はしゃぐトナカイを眺めながら、サンジはワインのボトルを傾
けた。明るい赤の液体が、タポトポとグラスに満ちる。
 重厚なフルボディではなく、寧ろ赤にしては軽めだが、晴れた
日に外で取るランチには丁度良い。
 一口、含んだ時だった。
 傍らで、ロビンが首を傾げた。
「今日って、5月4日よね?一年前の明日、航海が始まった……
ということは」
「ロビンちゃん?」
 美しい考古学者は、涼やかな視線をルフィに注いだまま、言っ
た。
「もしかしたら、船長さんのお誕生日も、明日じゃない?」
 そういえば、17歳になるのを待って出発したのだと、以前聞
いた気がする。
 ロビンが、ふふっと小さく笑った。
「自分が生まれた日より、航海に出たことの方が重要なのね」
「あいつの場合、てめェの誕生日も綺麗サッパリ忘れてそうだけ
どな」
「それもありそうね」
 この一年の出来事を辿り始めたクルーを横目に、ロビンとサン
ジは声を潜めて笑い合った。
「明日はご馳走?」
「野郎の誕生日を祝ってもなあ……。あいつの好きな物を一品、
付けてやれば満足するだろう。勿論、ロビンちゃんのリクエスト
があれば、そっちを優先するぜ?」
「ありがとう。私は食後に美味しいコーヒーを頂ければ充分よ」
 その時、「ロビン!」とナミの声がした。明るいオレンジ色の髪
の航海士が、手招きしている。
「ちょっと、ロビンも何とか言ってやってよ。空島のことなんて、
ついこの前の話なのに、こいつらときたら記憶が滅茶苦茶なのよ」
 シャンパングラス片手に、話に加わるロビンの後ろ姿を見送り、
サンジは青く凪いだ海へと目を転じた。
 餌を求める海鳥が一羽、滑るように海面すれすれを飛んで行く。
 明日は5月5日。
 ルフィがワンピースを求め、海へ出てから一年。
 そして、彼は18歳になる。

               × × ×

 赤ワインベースの濃厚な漬け汁にスペアリブを沈め、容器の蓋
をしっかりと閉める。
 それを冷蔵庫に仕舞い込むと、サンジは捲り上げていたシャツ
の袖を下ろし、息を吐き出した。
 あとは、明日の夕方、取り出してオーブンに放り込むだけだ。
 エプロンを外し、キッチンの鳩時計を見上げる。
 11時45分。
 あと15分で日付が変わり、5月5日がやって来る。
 ドライフルーツをたっぷり入れたケーキは既に焼き上がり、コ
アントローを振って寝かせてある。
 コンソメ・ジュリエンヌは大鍋の中。明日一日、丁寧に灰汁を
取って仕上げるのだ。
 サイフォンでコーヒーを落としながら、サンジは煙草に火を点
けた。ニコチンに、舌が微かに痺れる。
 結局、気が付いてみれば、ルフィの気に入りのメニューばかり
だった。明日の夕食は、間違いなく普段の倍量は平らげるだろう。
 そう考えると、知らず、唇に微笑が昇った。
 料理人にとって、作った料理を綺麗に食べ尽くしてもらえるこ
とは何にも勝る賞賛だが、そのことを抜きにしても、サンジはル
フィの食いっぷりの良さが好きだった。
 元々大食い体質な上に、十七歳という食べ盛りの時期も重なっ
て、出せば出しただけ料理は消えてなくなり、欠片一つ残らない。
 ──お前がうちの料理人で、良かったよ。
 事あるごとにルフィはそう言ったが、空の皿を突き出してお代
わりをねだられる度、サンジは喉もとまでせり上がって来る言葉
を飲み込んだ。
 ──お前が船長で良かったよ。
 信念のままに突き進み、しばしばとんでもない面倒を引き起こ
す彼に、困惑したこともある。しかし、だからといって、この船
に乗り込んだことを後悔したことは一度もなかった。
 サンジは、煙草を咥えたまま心持ち首を傾げた。
 もし、他の誰かに誘われたとして、自分はそれに応じただろう
か。
 バラティエには、場所柄、海賊船の船長たちも足繁く訪れ、サ
ンジはそんな彼らを見て育った。
 勿論、荒くれ者もいるにはいたが、それでも大概彼らは部下た
ちから尊敬され、畏れられる人物であり、無言でそこに立つだけ
で、周囲を沈黙させるほどの迫力があった。
 当然、盗み食いの心配などする必要もない。そんな誰かに──
ルフィ以外の誰かに『俺の船に来ないか』と誘われていたとした
ら。
「馬鹿馬鹿しい」
 テーブル上の灰皿に、吸いさしを押し付け、サンジは独りごち
た。
 考えても、意味のない話だ。
 今、自分はこの船の上に居る。これが事実だ。
 サイフォンが心地良い音を立て、香ばしい匂いがダイニングに
広がる。
 まるで狙い済ましたかのように、デッキへ続くドアが開き、ひ
ょっこりとウソップが顔を出した。
「お、コーヒーか。いいなあ!」
 彼は、奇妙な格好をしていた。毛糸の帽子を目深にかぶり、作
業用のオーバーオールの上から、まるで春巻かクレープのように
毛布を巻き付けている。
「何だよ、その格好は」
「夕飯の後から、やたら寒気がしてな。チョッパーに診てもらっ
たら風邪だってよ。風邪なんて引いたの、何年ぶりかなあ。……
ふえっ、ふえっ」
 そこで一つ、大きなくしゃみをしたウソップは、赤くなってし
まった鼻を啜りながら続けた。
「安静にしてろって言うからさ、これから寝るとこだ。コーヒー
もらっていいか」
「寝る前にコーヒーはまずいだろ。ホットミルクにしとけ」
 小鍋に牛乳を注ぎ、火に掛けたところで、「あれ?」とサンジは
振り向いた。
「今日の夜番って、確かお前じゃなかったか?」
「ああ。ルフィに代わってもらったんだ。夜になって冷え込んで
来たから、悪いとは思ったんだけどな」
 サンジは、甲板に面した丸窓を見遣った。
 曇ったガラスが、外気温が急激に下がっていることを示してい
る。
 鍋の中で、ふつふつと泡立ち始めた牛乳に砂糖をひとつまみ落
とし、マグカップに移す。
「ほらよ。これ飲んで、さっさと寝ちまえ」
「おお、ありがてェ。サンキューな」
 震えながらテーブルで待っていたウソップは、顔を綻ばせ、カ
ップを抱え込むようにして出て行った。
 足音が階段を降りて行く。
 それが聞こえなくなるのを待って、サンジは食器棚からカップ
を二個取り出した。
 鍋に残った熱いミルクと淹れたてのコーヒーを合わせ、カフェ
オレにする。
 二個のカップを片手に、サンジはダイニングの明りを落とした。
ドアを押し開ける。
 途端、真夜中の大気が冷たく全身を包んだ。
 闇の中に聳えるメインマストを見上げると、ゴンドラの支柱に
吊るされたランプが、茫洋とした光を放っていた。

             × × ×

 両舷からマストへ渡された横静索を伝い、見張り台へと登る。
 時折、強い北風が吹きつけて頼りない足場を揺らしたが、幼い
頃から海上で過ごして来たサンジにとって、身を支えるのはわけ
もないことだった。コーヒーは一滴も零れていない。
 あと、二メートル。
 ゴンドラを見上げた時だった。
 真上から、にゅうっと二本の腕が伸びて来て、シャツの両肩を
掴んだ。
「ギャーッ!」
 夜を裂く悲鳴を引き摺りながら、腕は一気に収縮し、ゴンドラ
の床に、サンジをすとんと降ろした。
 元の半量近くに減ってしまったコーヒーが、カップの中で揺れ
ている。
 驚いた。
 心臓と胃が、口からいっぺんに飛び出すかと思った。
 呆然とへたり込んだままのサンジに、暢気な声が掛けられた。
「よう、メシか?夜食か?それともおやつか?」
 記憶にある海賊団の船長たちとはおよそ程遠い外見。海軍の猛
者ですら眉を顰めたという手配写真と同じ笑顔で、ルフィが笑っ
ていた。
「こ、こ、このっ、クソゴム野郎が!」
 湧き上がる怒りに、サンジはキリキリと眦を吊り上げた。
「脅かすんじゃねェ!伸びる時は伸びると先に言え!」
「ああ、伸びた」
「今更言うな!」
 一発脳天に蹴りをくれてやろうかと腰を浮かしかけたが、思い
とどまった。
 ゴム相手では自慢の蹴りも威力半減だし、第一この程度の騒ぎ
など、今に始まったことではない。
 じろりとルフィをねめつけ、サンジはカップを突き出した。
「飲め。寒いだろ」
「お、サンキュー」
 嬉しげにルフィは受け取ったが、寒さを感じている様子は微塵
も無かった。
 防寒用毛布は足元に丸められ、赤いベストにハーフパンツとい
う格好も普段のままだ。見ているこちらが寒くなってくる。ひょ
っとすると、寒さを感じる神経が、いかれているのかもしれない。
 暫し大人しく、ルフィはコーヒーを飲んでいたが、空のカップ
を置くなり情けない声を上げた。
「うう、飲んだらかえって腹減っちまった。サンジ、何か食いも
ん持ってねェのか?これじゃ朝までもたねェよ」
 夕食に出したパスタを軽く五人前は平らげたくせに、もう消化
してしまったらしい。会計士も兼ねているナミが、エンゲル係数
の高さを嘆くのも無理はない。
「なあなあ、何か食い物出してくれよぉ。なぁってば」
「……ったく……」
 今にも床に転がって手足をばたつかせかねない彼を見かねて、
サンジはスラックスのポケットを探った。指先に何かが触れる。
 出て来たのは、ピンクのセロファンに包まれたキャンディだっ
た。昼間、お茶の時間にナミとロビンに出した残りだ。
「これくらいにしとけ」
 キャンディは、綺麗な放物線を描き、ルフィの手の中に落ちた。
「あめ?」
「明日はしこたま美味いものを食わせてやるから、今夜はそれで
我慢しろ」
「……明日?」
 きょとんとした顔つきで、ルフィが尋ね返す。
「誕生日だろ」
「……誰のだ?」
「てめェのだよ!」
 やはり、忘れていたらしい。
 怒鳴られて漸く思い出したのか、ああ、と他人事のように頷き
ながら、ルフィはキャンディのセロファンを剥いた。
「そういえば、そうだったな」
 かろん、と口の中でキャンディが音を立てる。
 サンジは煙草を咥え、火を点けた。深く煙を吸い込む。闇の中、
先端が赤く燃えた。
「去年の誕生日に、出発したんだろ?独りで」
「うん」
 ルフィは、ゴンドラの壁に凭れかかった。麦わら帽子を脱ぎ、
じっと見詰める。
 薄明かりの中、俯いた彼の表情は影になり、よく判らない。
 この時、漸くサンジは、この何事にも開けっぴろげで大らかな
船長の過去を、殆ど何も知らないことに気が付いた。
 かつて彼が居た場所。
住んでいた村。家族のこと。友達のこと。
 左頬の傷の理由。
 この一年、聞く機会はいくらでもあった筈なのに──そして、
自分たちのことをルフィは知っているのに、不思議なほどルフィ
自身について判っていることは少ない。
「どんなところだったんだ?その……フーシャ村って言ったっ
け?」
 また、かろん、と音がした。
 視線は麦わら帽子に落としたまま、ルフィは応える。
「すっげえのどかな村さ。港があって、牧場があって、牛がいる。
村の外れから港へは一本道が続いていて、集落はその周りにしか
ない。どこに行くにも迷いようがないんだ。酒場は一軒だけで、
その女主人がマキノだった。飯を食える店なんて他にないから、
子供の俺はいつもそこで食わせてもらっていた」
 初めて聞く、彼の過去だった。
 ゆったりと風車が回る、のどかな牧草地。その真ん中を駆けて
行くルフィの頬に、既に傷はあったのだろうか。
「……懐かしいか?」
「まあな。村長は口うるさかったけど、いい奴ばっかりだったぞ。
何しろ俺が宝払いで食い物たかっても、誰も怒らなかったんだ
ぜ?」
 きしししっとルフィは笑い、麦わら帽子をかぶり直した。
「でも、帰りたいと思ったことはねェな。今が楽しいし、どこに
だっていい奴はいる。フーシャ村に行くのは、約束通り俺が海賊
王になってからだ」
 彼らしい答だった。
 二本目の煙草を取り出し、サンジは顔を顰めた。最後の一本だ
った。
 封を切っていない煙草は、寝室に置いてある。
 取りに行けば良いだけなのだが、今は動きたくなかった。もう
少しここに居て、ルフィ自身の話を聞いてみたい気がする。
 最後の煙草を咥えたまま、火を点けたものかどうか迷っている
と、
「サンジ、お前は?」
「あ?」
 突然、問われた。
 顔を上げると、いつからこちらを見ていたのだろうか。ルフィ
と目が合った。
 ぽろりと煙草が落ちたが、拾うことも出来なかった。囚われた
ように、彼から目が離せない。
 もう一度、ルフィが尋ねる。
「あのレストランに、帰りてェか?」
「俺は……」
 咄嗟に答えられず、サンジは押し黙った。
 海の真ん中に浮かぶ、巨大なレストラン。
 客足は途切れることなく、広い厨房では30人からの料理人た
ちが立ち働いていた。
 そして何より、『父親』に等しい存在があそこには居た。
 懐かしくないと言ったら嘘になる。正直、帰りたいと思ったこ
ともあった。夜、何度か夢に見た。
 いわゆるホームシックという奴かと思ったら、情けなくて誰に
も言えなかったが。
「いいんだぞ」
「……何がだ!」
 胸の内を見透かされたかと、サンジは声を荒げたが、当の本人
は揶揄うつもりなどなかったらしい。真顔のまま、言った。
「帰りたいなら、そう口に出してもいいんだぞ」
「──!」
 腰を浮かせ、ルフィが身を乗り出した。首に、背中にするりと
腕が回る。
「帰さねェけどな」
 低く呟く声がした。
 体ごと押されて、背中がゴンドラの壁に当たる。
 逃げられない。そう思った時には、強引に口付けられていた。
キャンディの甘さを感じたのは一瞬だけで、前歯がぶつかり、傷
ついた唇から鉄の味が広がった。
 押し返そうとした手首を掴まれる。指が食い込み、引くことす
ら適わない。
 頭を打ち振り、どうにか逃れると、サンジは叫んだ。
「てめェ、ルフィ!何考えて……!」
 ぎくりとした。詰る言葉を途中で飲み込む。
 黒い瞳が、じっとこちらを見詰めていた。瞬き一つしないそれ
が、頭上のランプの灯を映し、ちかりと光る。
 ルフィが、言った。
「俺が、お前を連れて行くと決めた。お前がそれに応えた。お前
にオールブルーを見せて、俺が海賊王になる日まで、泣こうが喚
こうが帰すつもりはねェ」
 決してクルーを部下とは呼ばない、風変わりな船長。
 仲間に助けてもらわなければ、何も出来ない。敵の前で、そう
言い切ったこともあった。
 だが、こうして時折垣間見せる顔は、紛れもない、唯一絶対の
支配者だ。
 この目、この手──そして、この声で、根こそぎ全てを攫って
行ってしまう。
 サンジは、強張っていた躰から力を抜いた。
「……クソ船長が。帰す気がねェなら、最初から聞くな。……そ
れに」
 まっすぐに見詰められる息苦しさに耐えかねて、サンジは目線
を外した。
「手首は掴むな。料理が出来なくなったら困る」
「悪ィ」
 二度目の口付け。今度は、驚くほど優しかった。重なった唇が、
シャツ越しの肌が熱い。
 彼の全身から、潮の匂いがした。
 幼い頃から馴染んでいた筈の海。
 そこを離れて、もっと遠い海へ行こうと誘ったのが彼ならば、
海は、今この躰を抱き締めている彼そのものだ。
 傷ついてしまった唇を、ルフィの舌先が撫でる。ざわりと背中
が泡立ったが、それは嫌悪ではなかった。
「ルフィ……っ」
 吐息ごと、飲み込まれるような三度目の口付け。
 微かに、キッチンの鳩時計が時を報せるのが聞こえた。
 唇の隙間で、ルフィが笑い、囁く。
「12時だ。祝ってくれるだろ、サンジ?」
 その声に、昨日までの少年ではなく、『男』の気配を感じて、サ
ンジは答える代わりに目を閉じた。

              × × ×

 なかなか離れようとしない手をぴしゃりと払い退け、サンジは
重怠い躰を起こした。
「いい加減にしろ。やるだけやったろうが」
 途端に傍らから不満げな声が上がったが、無視を決め込んだ。
 決して器用ではないが、若さと本能に任せたセックスはサンジ
を翻弄し、躰のあちこちに燠火を残した。
 触れられていると、今にもその火が勢いを取り戻しそうで、そ
れが怖い。
 左腕にかろうじて引っ掛かっていたシャツを羽織り直す。下着
ごと剥ぎ取られたスラックスを探したが、それは、ルフィのベス
トと一緒に完全に彼の下敷きになってしまっていた。
 普段なら、文字通り彼を蹴散らして取り返すところだが、生憎、
そんな体力も残っていない。
 サンジは溜息を吐き、床に落ちていた煙草を拾い上げた。シャ
ツのポケットに入っていたマッチを擦り、火を点ける。
 ルフィは、仰向けに転がったまま、何も言わない。
 だからサンジも、聞かなかった。どうしてこんなことになった
のか──聞いたとしても、返って来る答は大体予想が付いている。
『そうしたかったからだ』。
 吹き過ぎる風に目を細め、サンジは大分西に傾いた月を振り仰
いだ。
 上空は、もっと風が強いのだろう。光る雲がぐんぐん押し流さ
れて行く。
 そうして10分も黙っていただろうか。
 突然、ルフィが口を開いた。
「決めた」
「いきなり、何だ」
「この航海が終わったら、お前をあのレストランまで、送り届け
る」
「……散々抱いた後に言う台詞じゃねェな」
「そういう意味じゃねェよ。勘違いすんな」
 片肘をつき、ルフィは裸の上半身を起こした。頬にニヤリと笑
みが浮かんでいた。
「お前はオールブルー、俺はワンピースに辿り着けば、この航海
は終わりだ。そうしたら、俺はまたあのレストランに行って、も
う一度お前を連れ出す」
「──!」
 危うく、火の点いた煙草を落としそうになった。
「……気が早いぜ、船長」
 声が震えているのを、気付かれただろうか。呼吸を浅くして、
必死に平静を装う。
「まだワンピースが見つかるかどうかも判らねェってのに」
「見つかるさ。俺が探し出すと決めているんだ」
 煙が染みて、サンジは目を伏せた。
 ルフィの声がする。
「嫌って言うなよ。俺はお前が『断る』と言うのを断る」
 この台詞を聞くのは、二度目だ。
 サンジは、年下の船長の肩に額を押し当てた。髪をくしゃりと
かき回される。
「仕方ねェ。他の料理人じゃ、てめェの大食いに音を上げるだろ
うしな。来年も、再来年も俺が飯を作ってやるよ。……文句ある
か、海賊王」
「ないさ」
 満足げにサンジを抱き、ルフィが言った。
「一緒に来い。俺が、世界中の海を見せてやる」

 ──5月5日。海賊王に、俺は捕まった。

 ルフィの腕に躰を預け、サンジは深く、潮の匂いを吸い込んだ。


                              了