歌が聞こえる。
ルフィやウソップが酔っ払ってがなり立てるような『騒音』では
ない。誰かが口ずさんでいるのだ。
何という曲だったろう。聴き覚えがあった。
耳に馴染んだこのメロディは──。
ふと、歌が止み、記憶を手繰りかけていたゾロは、顔を顰めた。
チョッパーの声。
「その歌、知ってるぞ。俺の誕生日が近くなると、よくドクトリー
ヌが『レコォド』をかけてた」
「ああ、そうか。お前、クリスマスイヴが誕生日だったな」
 応えたのはサンジだった。ということは、あの先刻までの歌声は
彼だったのか。
 チョッパーが尋ねる。
「クリスマスイヴってなんだ?お祭りか?」
「何だ、冬島生まれのくせに、クリスマスも知らねェのか」
 ゾロは、薄く目を開けた。
 照り付ける陽射しが眩しい。第一、暑い。日陰に移動すればいい
のだが、寄りかかった壁の向こう、ダイニングの窓から漏れ聞こえ
る会話が気にかかる。
ゾロは、結局立ち上がることを止め、腕を組替えた。
暫しの沈黙の後、サンジは言った。
「クリスマスってのは、神様の誕生日を祝うお祭り、だな。教会に
行ってお祈りをする連中もいるけど、大抵は皆賑やかにパーティー
をやって、美味いご馳走を食べたり、プレゼントを交換したりして
過ごすんだ。十二月二十五日がクリスマス。二十四日は、その前夜
祭で、クリスマスイヴだ」
「そっか。俺、神様より一日早く生まれたのか」
「そういうことだな」
「すっげェ!俺って何かすげェかも!」
 ひとしきり喜ぶチョッパーの声がしていたかと思うと、「あ」とサ
ンジが声を上げた。
「そういえば、もう十二月だし、飾りつけでもするか。それから、
パーティ用のご馳走の仕込みも・・・・・・チョッパー、次の港で買い物
を頼まれてくれるか?」
「俺?うん、いいよ!」
 これまで、たった二人の人間としか暮らした事のない幼いトナカ
イは、誰かの手伝いを出来るのが嬉しくて堪らないらしい。
 次の港まで、あと一日。きっとはしゃぎ通しだろう。彼の笑顔を
容易に思い浮かべながら、ゾロはそっと立ち上がった。


               × × ×


「クリスマスリースを三つと、赤いリボンを一メートル、金のリボ
ンを一メートル、それにコットンと・・・・・・ツリー用の飾り一式ね。
え?モミの木も?」
 メモを読み上げていたナミが頓狂な声を上げる。見張り用のゴン
ドラから、ゾロは下を覗き込んだ。
 停泊した港の街へ、買出し部隊が出掛けるところだった。どうや
ら、見張り当番のゾロとサンジを除く全員が降りるらしい。
「重いものは全部、ルフィとウソップにでも持たせて、ナミさんと
ロビンちゃんは軽いものだけ持って下さいね。チョッパー、お前は
料理の材料のメモ、持ったか?」
「おう!」
 重要な任務を任されたかのように、チョッパーは得意げにメモを
高く掲げ、それから、大事そうにズボンのポケットに仕舞い込んだ。
「サンジくんは?行かないのか?」
「俺は夕飯の支度があるからな。じゃあ、頼むぞ」
 クルー達が三々五々、船を降りて行く。
 好奇心に勝てなかったのだろう。船の様子を窺っていた子供達が、
わあっと駆け寄って行くのが見えた。皆、半袖に短パンという格好
だった。
 そう、ここは夏島なのだ。
 十二月だというのに、鮮やかに晴れ渡った空を眺め、ゾロは眩し
げに手をかざした。
海面から湧き上がるように立ち昇った入道雲が見えた。間もなく
一雨来るかも知れない。
港街は、さほど大きくはなかった。ナノハナなどに比べれば、そ
の五分の一程度だろう。
中心と思しき場所に教会の尖塔が見え、街はその周りを囲むよう
に作られている。
クリスマスソングが遠く聞こえていた。
「こんな常夏の島でも、やっぱりクリスマスは盛り上がるんだな」
 突然声がして振り返ると、サンジがコーヒーのカップを片手に、
ひょいと顔を出した。器用に片手だけを支えにゴンドラの中に飛び
降り、カップを置く。香ばしい香りが漂った。
「ケッ、何でナミさんやロビンちゃんじゃなく、テメェが見張り番
なんだよ」
「悪かったな」
 悪態を吐きながら、しかしサンジは甲板へ降りようとはしなかっ
た。
「飯の準備はいいのか」
「まだ少し時間はある」
 言って、ゾロの向かいに座り込むと、サンジは取り出した煙草に
火を点けた。
 ふわりと気だるげに煙を吐き出し、陽射しに目を細める。独り言
のような呟きが聞こえた。
「夏の最中のクリスマスってのは、妙な感じだな」
 ゾロは何も言わず、頷いた。
 イーストブルーには四季があった。
 春には花が咲き、夏は蒸し暑く、秋は木々の葉が美しく色を変え、
そして冬には雪が降った。
 クリスマスを寒い季節に迎えるのは、自分達が住んでいる場所を
含めた、ある一部の地域に過ぎないのだと知ったのは、随分後にな
ってからのことだ。
 バラティエの上でも、雪は降ったのだろうか。尋ねると、サンジ
は「ああ」と応えた。
「あそこは周りに遮るものがないからな。降る時ゃ凄いんだぜ。ド
カ雪になっちまうんだ。デッキの雪かきは、ガキの頃の俺の仕事だ
った」
 吸い切った煙草を指で弾き飛ばし、もう一本取り出し、火を点け
る。
その姿に、ふと、これまで尋ねたことのなかった話を聞いてみた
くなって、ゾロは口を開いた。
「お前、確かノースブルーの出身だったよな。冬島みたいに、年中
寒いのか?」
 答が返るのは、良くて半々の確率と踏んだのだが、意外にもはぐ
らかされることはなかった。
「ドラムほどではないけどな。年間を通して、気温が低いんだ。春
も夏も短くて、秋はあっという間にやって来て、冬がやたらと長い」
 未だ行ったことも見たこともない国の話を語る男の顔を、ゾロは
眺めた。
 ノースブルーの血を表す、金色の髪と白い肌。
 どこでも混血が進んでいる現在、これほど純粋なノースブルー人
はそう見られるものではないらしい。以前、この船にエースが乗り
合わせた時、そんな話を聞いた覚えがある。
 サンジは視線を中空に泳がせ、話し続ける。まるで遠くを見てい
るような表情だった。
「でも、冬の晴れた日に、外に出ると綺麗なんだぜ。雪の積もった
平原に、白樺の林があってな、その枝から水滴が落ちてキラキラ光
るんだ。夜には、またそれが凍り付いて、小さいツララになるんだ
けどな」
「・・・・・・そういう場所だと、クリスマスも賑やかそうだな」
「凄い騒ぎだぜ。一年で一番賑やかなんじゃねェかな。街中が明る
くなるんだ。家の軒先には、皆、明りが灯って、街の木という木全
部、飾り立てられてな。一年中、クリスマス用品を売ってる店も沢
山あったっけな」
 陽が翳り始めた。俄かに雨雲がせり出して来ている。
 二本目の煙草は、半分ほどの長さになっていた。
「なあ」
 ゾロの呼び掛けに、サンジが顔を振り向けた。
「戻りたいのか」
「ああ?」
 細い片眉が上がった。
「どこへだよ・・・・・・って、おいっ!」
 驚く彼の細い躰を壁に押し付け、口付ける。ガチリと前歯がぶつ
かって嫌な音を立てた。
「──!」
 蹴りを繰り出そうとしているのを感じて、両脚を膝で抑えつける。
無理矢理顎を掴んで上向かせ、舌を捩じ込もうとすると、どん、
と強く胸を両手で突かれた。キスが途切れる。
「てめ・・・・・・何しやがる・・・・・・!」
 毒づく声が掠れていた。荒い呼吸を繰り返す彼を、ゾロは狭いゴ
ンドラの床に引き倒した。
「こンの・・・・・・畜生!」
 大きな掌で、口を塞ぐ。
 胸元を強く引くと、夏物のシャツは頼りない音を立てて裂けた。
 薄い緑の瞳が鋭く睨み上げている。ゾロは目を逸らさなかった。
 はだけた胸に手を這わせ、突起を摘む。ふるりとサンジの躰が震
え、指先で触れたものが硬く尖った。
 この船で、時に上がった港で、何度も抱いた。独りよがりではな
い夜を、幾つも過ごした。
 そして同時に、彼は確かに航海になくてはならない人材で、ルフ
ィの言を借りるなら『仲間』だった。
 それでもいつか、オールブルーを見つけたら、彼は帰って行くの
だろう。自分たちを──自分を残し、彼の大切な場所へ。
それがバラティエなのか、生まれ故郷のノースブルーなのかは、
判らないが。
 微かに流れる『ジングルベル』が空々しい。
 剥き出しの首筋に噛み付くように口付けると、掌に熱い吐息がか
かった。
「戻りたいのか・・・・・・ここを出て、どこかへ」
 耳元に囁くと、頑なに拒んでいた躰が、僅かに緩んだ。
 顔を覗き込む。
彼の眼差しに、どこか当惑したような色が浮かんでいた。
口を塞いでいた手を引く。と、深く息を吐き出し、サンジが低く
呟いた。
「どこに戻るってんだよ・・・・・・クソ野郎」
細いシャツの腕が、絡みついて来る。
ポツリと一つ、大粒の滴が落ちて来た──かと思うと、忽ち辺り
は滝のような雨に霞み、数メートル先すらも見えなくなった。
雨に体温を奪われるのを嫌うように、抱き締め合い、舌を絡め合
い、びしょ濡れの全身でもつれ合った。
「・・・・・・雪じゃなくて、土砂降りか」
 ぼやくと、サンジが微かに笑った。


              × × ×


 重だるい体を投げ出し、空を見上げる。それは、先刻までの雨が
嘘のように晴れ渡っていた。
 海鳥が一羽、二羽悠々と飛んで行く。
「・・・・・・クソッ、煙草が台無しだ」
 破れたシャツを引っ掛けただけの、しどけない姿でサンジは吐き
捨て、すっかり水を吸ってしまった煙草を箱ごと握り潰した。
 雨音に掻き消されていた音楽が、また流れ始める。
 サンジが歌っていた、あの曲だった。
 何とはなしにメロディーをなぞるゾロに、サンジが意外そうな目
を向けた。
「歌えるのか」
「曲だけは知ってる。昔流行っただろう」
 暫し黙ったまま、曲に耳を傾けていたサンジが、突然言った。
「この歌のタイトル、知ってるか?」
「ああ?」
 そこまでは覚えていない。そう正直に返すと、
「"All I want for Christmas is you"っていうんだ。タイトルくらい
覚えとけ」
 濡れた前髪を払いのけ、サンジは立ち上がった。
そのまま、軽い身のこなしでゴンドラからマストの梯子へと降り
て行く。
「おい!ちょっと待て!」 
慌てて、ゾロも立ち上がった。
──『だから心配すんな』。
そう彼が呟いた気がしたからだった。
あっという間に甲板に降り立ったサンジが、ゴンドラを見上げ、
叫んだ。
「後でシャツ買って返せよ!」
 ゾロは、ゴンドラの縁に凭れた。
 歌はまだ続いている。

 Santa Claus won't make me happy
 With a toy on Christmas day
 I just want you for my own
 More than you could ever know
 Make my wish come true
 All I want for Christmas is you, You baby ・・・・・・

 真夏の島の十二月。
 もうすぐに、もうすぐにクリスマスがやって来る。


                         了