導火線


 案の定、少年の面にも、戸惑いが浮かんだ。が、優一が後悔
するより先に、笑顔を取り戻し言った。
「良かったら、今度、試合観に来てください。今までは部員が揃
わなくて、試合どころか練習もままならないような有様だったん
ですけど、やっと人数が揃って、出来るようになったんです。
その……まだまだ強いとは言えないけど、その分観覧席は選び
放題ですから」
 すねた様子もなく、あははと笑う。ふと、違和感を覚えて、優一
は眉を顰めた。
 雷門中と言えば、サッカー少年なら誰もが憧れる強豪チーム
だ。それが、「部員が揃わない」とは、どういうことだ。
「君は……」
「こらっ!」
 突然、廊下から割り込んだ声に、遮られた。少年が首を竦める。
看護師が怖い顔をして、部屋を覗き込んでいた。
「君、勝手に入って来ちゃ駄目じゃない!面会簿に名前書いて
ないでしょ!」
「す、すみません」
「ナースステーションの前に面会簿があるから、すぐに書いて来
て。ルールは守ってもらわないと」
「はい。今、書きます。すみません」
 慌てて出て行く。入れ替わりに看護師が入って来て、「まった
くもう」と腰に手を当てた。顔は笑っている。
「優一くんのお友達?弟さん以外の人が来るのは、珍しいわね」
「いえ、さっき転んだ時にたまたま通りかかって、助けてくれたん
です。名前も知らない子なんですけど」
 看護師は、口に手を当てた。
「そうだったの。悪いことしちゃった。私が謝っていたって、伝え
てくれる?別の部屋に呼ばれていて、行かなきゃならないの」
「いいですよ。戻って来たら、伝えておきます」
「ありがとう。よろしくね」
 出て行きかけた看護師が、「あら?」と声を上げた。
「どうしたんですか」
 優一を振り返る。釈然としない顔で、言った。
「いないのよ」
「いない?」
「どこに行ったのかしら、あの子。いなくなっちゃったわ」
 返す言葉が見つからず、優一も、看護師を見詰め返した。

                ◇ ◆ ◇

 どこへ行ってしまったのだろう。
 誰だったのだろう。
 窓の外を眺めながら、優一は考え込んだ。
 夕闇はますます濃く、出会った少年の姿形まで消えてしまい
そうだ。
 優一は首を振った。
 間違いなく、彼はいた。ここで、倒れていた優一に声をかけ、
ベッドに抱き上げてくれた。
 看護師に叱られてナースステーションに向かう途中、探して
いた友達にばったり会って、そのまま帰ったのかもしれない。
あり得る話だ。
「兄さん、ただいま」
 振り向くと、四歳違いの弟、京介が入って来るところだった。
「お帰り」
 微笑みかけ、「そうだ」と思いついた。
「京介、サッカー部に入ったんだったな」
「ああ、うん……」
 曖昧な応えが少し引っかかったが、構わず訊ねた。
「二年生で、オレンジ色のバンダナの子、知ってるか?」
「バンダナ?」
「こう、ツノみたいな癖毛で、体はそんなに大きくない……そう
だ、あの、伝説のゴールキーパーにちょっと似てるなって思っ
て──」
「知らない」
 あっさりと、京介は首を横に振った。
「バンダナ着けてる奴は一人いるけど、オレンジじゃなくて水色
だし、それに一年だ」
「そんな……」
 優一は、声を失くした。
 あの少年が嘘をついたとは思えなかった。そんなことで初対
面の優一に嘘をついても意味がないし、何より、あの屈託のな
い笑顔からは、嘘の匂いがしなかった。
 彼はきっと、本当のことしか言っていない。
 だが、だとしたら何故、京介が知らないのだろう。
 彼は、どこへ消えてしまったのだろう?
「兄さん?」
 心配そうに、弟が身を屈める。
 その肩に、頭を凭せた。京介が驚いたように瞬きをする。
「どうかしたのか?」
 宥めるように肩を抱かれ、あの腕の感触を思い出した。優一
の重みを支えきった、力強い腕。
「……誰だったんだろう」
「え、何?」
 優一は答えなかった。外は既に黄昏を過ぎ、夜に覆われてい
る。
 「誰そ彼時」は、「逢魔が刻」とも言うらしい。この世ならざる
ものと、すれ違うかもしれない時間。
 あの彼も、すれ違ってはいけない、この世ならざる存在だっ
たのだろうか。
 それでも、また会いたいと優一は願った。

                 ◇ ◆ ◇

「──あっ、危なかったあ!」
 巨大なモニターを前に、円堂カノンは叫んだ。
 どさりと椅子に腰を落とす。一気に冷や汗が噴き出した。
 途端、
『カノン!気をつけてくれと言ったじゃないか!』
ヘッドセットから、男の声が飛び出した。よほど肝を冷やしたのだ
ろう、今にも裏返りそうだ。
「すみません、キラード博士!今度はもっと気をつけます」
『頼むよ、カノン。君がシステムを使いこなせるようになってくれな
いと、今回のミッションは完遂出来ないんだから』
 最後は泣き声だった。マサチューセッツ工科大を首席で卒業し
た秀才のはずだが、情けない奴だと笑えない。
 本当に危なかった。もう少しで、曽祖父・円堂守を十年後の世界
の住人と接触させてしまうところだったのだ。
 いや、正確には既に接触してしまったのだが、お互い別の時代
の人間と気付いていないから、ギリギリセーフだ。
「ごめんね、ひい爺ちゃん」
 二つに分割されたモニタを、カノンは見上げた。それぞれ、正常
な時間が流れ始めている。
 今度は上手くやるよ。
 守を、2011年から2021年の世界に送り、本人も気付かないほど
短い時間で、すぐに引き戻す。
 今までは、このシステムの開発者であるキラード博士が操作し
てくれていたが、今回ばかりは彼に頼りきるわけにはいかない。
何しろ、一つ間違えれば、時空が捻じ曲がるほど大掛かりなミッ
ションなのだから。
 カノンは唇を引き結んだ。
 あと一ヶ月。何が何でも、マスターしてみせる。
「博士、もう一度お願いします」
『オーケイ。時計を合わせてくれ。今から三分後に開始する……』
 訓練に没頭するカノンは知らない。
 いつだって重大なアクシデントは、ほんの些細なきっかけから
起きるのだということを。
 そして、たった今、小さな小さな火種が生まれてしまったこと
を。
 今はまだ、カノンは何も知らない。


                           了


2011.12.6
豪炎寺の熱烈なファンだった優一のことだから、円堂の顔も知ってる
はずだけど、子供時代の記憶だし、映像や写真と実物は違って見え
るものだから、出会っても一致はしないんじゃないかな。
というわけで、14歳円堂×剣城兄でした~。あーすっきり♪