ジャックランタンは嗤う


「ああ、食った!風丸、ありがとうな。お前が来てくれて助か
ったよ」
「どういたしまして。たいしたものは作れないけどな」
「いや、美味かったよ。それより、何か用だったんじゃないの
か?」
 訊かれて、本来の用件を思い出した。
「プリンを持って来たんだ」
「プリン?」
 テーブルの端に置きっぱなしだった紙袋を、円堂に手渡す。
保冷剤を入れて来て良かった。
「ありがとう。どうしたんだ?」
「ハロウィンだからって、母さんが大量にカボチャプリンを作
ったんで、お裾分け。でも、小父さんも小母さんもいないんじ
ゃあ、多かったな」
「いいよ、俺が食うから」
 取り出したプリンを冷蔵庫にしまいながら、こともなげに円
堂は言った。風丸は目を剥いた。
「全部か?」
「うん。食べ物を粗末にしちゃいけないだろ。何ならお前も食
って行けよ。もう少し、いられるんだろ?」
 何気なく円堂が口にした言葉に、風丸はたじろいだ。
 忘れていた出来事が、忽ち甦る。今度は、円堂が目の前にい
るだけに、いっそう生々しかった。
 この手が、風丸に触れた。
 抱き寄せて、キスをして、不器用に制服を脱がせて、それか
ら──。
「風丸?」
 円堂が怪訝そうに、俯く風丸の顔を覗き込んだ。
 一瞬目が合って、円堂も、風丸がたじろいだ理由に気付いた。
「ああ、そのう……」
 目尻が微かに赤くなる。
「……泊まってく、か?」
 風丸は、脱兎のごとく逃げ出したい気分になった。
 二人きりになったら、こうなることが予想出来たから、それ
が不安だったから、円堂に電話をかけるのを躊躇ったのだ。
 やっぱり、やめておけば良かった。カボチャプリンを壁山に
あと三つ多く渡しさえすれば良かったのだ。
 だが、悔やんでももう遅い。
 不安は的中した。円堂に誘われる不安ではない。誘われて、
それを自分が断れないだろうという不安だ。
「風丸」
 首を横に振った。吹けば飛ぶような理性を振り絞ったつもり
だった。
「泊まったら、何かするだろう、お前」
「そりゃあ、しないとは言えない、なあ……」
「ハロウィンは、『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ』だろ。プリ
ンもらっておいて、悪戯までしたら、ハロウィンにならないじ
ゃないか」
 これまた吹いたらあっさり舞い飛ぶような、苦しい言い訳だ
と思う。案の定、円堂には通用しなかった。
「関係ねェよ」
 ひと言、風丸の言い訳を吹き飛ばす。
 ブランコに残る跡より、はるかに大きな手が、風丸の右手を
掴んだ。
 風丸は、反射的に目を閉じた。見なくとも、気配で、円堂が
何をしようとしているかは判る。
 気配は、熱だ。風丸よりはるかに高い体温が、近付いて来る。
耳朶に触れる、ぎりぎりのところで熱が止まった。
 円堂の声がした。
「どっちも欲しい。お菓子ももらうし、悪戯もする」
「カボチャのバチが当たるぞ」
 そんなバチがあるのかどうかは知らないが、風丸は言い、身
を竦めた。
 耳に唇が押し当てられる。
 眩暈がするほど熱かった。

               ◇ ◆ ◇

 とろとろと、ベッドの中で少し眠った。円堂に揺り起こされて、
目が覚めた。
「携帯、鳴ってる」
 目の前に差し出された制服の上着から、バイブの鈍い振動音
が聞こえている。
「サンキュ」
 風丸は横になったまま、制服を探った。行儀が悪いが、体が
だるくて起き上がれない。
 一方の円堂は、何食わぬ顔でペットボトルの水をラッパ飲み
している。このタフさが羨ましいが、体の構造からして違うのだ
ろう。
 取り出した携帯を、耳に当てた。
「もしもし……」
「一郎太!」
 びぃんと女の声が耳を貫いて、風丸は跳ね起きた。姉の声だ。
 通話口を手で塞ぎ、「何時?」と口の動きだけで訊ねると、円
堂は両手で「八」と示し、それから左右それぞれ三と丸を作っ
てみせた。八時半。姉がちょうど帰宅する頃だ。
「一郎太!聞いてるの?」
「あ、うん、聞いてるよ」
 何をこんなに怒っているのだろう。姉の気に障ることをした
覚えはないのだが。
「あんた、冷蔵庫にあったプリン、いくつ持ち出した?」
「いくつって……あんなに食べきれないと思ったから、半分く
らい、かなあ」
「半分以上よ!全部で40個あったんだから!あんた、25個も
持ち出したでしょう!」
「数えてたのか。だったら俺に聞かなくたって……って、え?」
 嫌な予感に、背筋が冷えた。
 母がプリンを作ったのは、今日の昼間だ。今帰って来たばか
りの姉が、風丸より先に個数を数えていたわけがない。
 その彼女が、個数を知っているとしたら、考えられる可能性
は一つしかない。
「もしかして、姉貴が母さんに頼んだ、とか……?」
「そうよ!明日学校に持って行こうと思って、作ってもらった
のに、それを勝手に持って行っちゃって……どうしてくれるの
よ!」
 喋っているうちにますます腹が立って来たらしく、声が更に
高くなった。これはまずい。
 風丸は早口に謝った。
「ごめん、ホントごめん!後で謝るから!」
「今、ちゃんと謝りなさいよ!それに謝って済む話じゃあ──」
「とりあえず、ごめん!帰ったら話聞くよ。それじゃ」
「ちょっと!待ちなさい、一郎太!」
 まだけんけん騒ぐ声がしていたが、構わず電話を切った。
 円堂が訊ねる。
「どうかしたのか?」
 風丸は毛布に突っ伏し、呻いた。
「……カボチャのバチだ……」
「何だって?」
 お菓子(プリン)も悪戯(エッチ)も両方なんて、そんな都合の
良い話はなかったのだ。
 家に帰れば、恐怖のお仕置きが待っている。ああどうしよう。
自分の家なのに帰れない。
「円堂」
「ん?」
「今晩、泊めて」
「──!」
 円堂が絶句する。
 お化けカボチャが大口を開けて、ケタケタ嗤っている気がし
た。
 
 
                            了


2011.11.16 up