ミッシング・チルドレン


 風丸は口を噤んだ。
「死ぬ覚悟を決めたとか、そういうんじゃない。俺は、やらな
くちゃいけないことがある。だから残るんだ」
「やらなきゃいけないこと……?」
「お前がなくした記憶だ。お前の身に起きたことは、俺の責任
だ。俺があいつらを振り切れなかったばっかりに、お前を巻き
込んでしまった。俺は、それに蹴りをつけなくちゃいけない」
 襟足を冷たい手で撫でられたような、嫌な感覚があった。
「待ってくれ、円堂。俺の身に起きたことって、それは──」
 意味が判らない。
 「なくした記憶」と円堂は言った。
 何のことだ。俺は何もなくしてなんかいない。
 言いかけて、いや、と打ち消した。
 さっき、確かに考えた。
 ここはどこなのか。俺はいつから、どうして、ここにいるの
か──と。
 判らない。
 何も、思い出せない。思い出そうとすると、真っ白な霧が、
あるはずの過去を覆い隠してしまう。
 みしっと、また不吉な音を聞いて、風丸は天井を振り仰いだ。
 崩れ残ったそこに、無数の亀裂が走っていた。
 ずるりと、垂れ下がるコンクリートの舌が伸びた。
「クソッ……!」
 円堂が、歯を食い縛る。踏みしめた足が砂利を潰し、音を立
てた。
 風丸を見詰め、円堂は言った。
「走れ、風丸!生きるんだ!」
 言い争うことを許さない、鋭い声だった。
 風丸は、立ち上がった。よろめきながら、足を踏み出し、走
り出す。
 自分が逃げることで、円堂が助かる。そう言い聞かせて、走
った。
 後ろは見なかった。何度か振り返ろうとして、「急げ!」と叱咤
され、泣きたい気持ちで前を向いた。
 長い廊下。その先に、非常口の緑色のランプが見えた。あれ
だ。
 ドアに飛びつき、ノブを捻る。冷たい夜の空気に包まれた。
「円堂!出られたぞ!」
 振り向いたその時、閃光が走った。大地を揺るがすような音
がして、爆風が風丸の髪を乱す。
「えん……」
 風丸は目を見開いた。
 崩れる。
 円堂を飲み込んだまま、灰色の建屋が崩壊してゆく。
 音が消えた。
 無音。
 そして訪れる、冷たい闇の世界。

               × × ×

 目の奥が痛んで、鬼道はゴーグルを外した。瞼を押さえ、揉
み解す。
 闇の中でぼんやりとした光が動く。目を開けても、その残像は
暫く消えなかった。
 白々と夜が明け始めていた。ブラインドを上げた窓の向こうに
は、背の低いビルが立ち並んでいる。
 昨夜は、滝野川警察署の一室に、豪炎寺、風丸と共に泊まった
のだった。
 豪炎寺は窓際の一人掛け、風丸は鬼道と向かい合わせのソファ
に横たわり、寝息を立てている。
 ヒロトとは、昨夜警察署の入口で別れたきり、会っていない。
当事者の一人だ。失火にしろ、何者かによる放火にしろ、そう簡単
に解放してはもらえないだろう。瞳子も呼ばれたはずだ。
 不幸中の幸いで、おひさま園の子供たちも職員も、誰一人命を
落とすことはなかった。それだけは、昨夜遅く、この部屋に案内
してくれた刑事から聞いている。


                           (続く)


2011.11.29 up