ミッシング・チルドレン


「……」
「受精卵は、女性の子宮内でなくとも、必要な条件さえ満たされ
ていれば、胎児として成長出来る。その条件を備えた環境が、
人工子宮だ。理論的には可能だが、倫理的な理由から、クロー
ン技術と同じ、いやそれ以上に禁忌扱いされている」
 背後で、身じろぐ気配があった。ヒロトが、風丸の肩を抱いて
いた。風丸は、ぼんやりと、されるがままになっている。
「現実的な人工子宮は、SFにありがちなガラス管なんかじゃな
い。必要な栄養素を常に供給出来て、拒否反応が起こらず、
なおかつ胎児の成長に合わせて伸縮する……あくまで理論上だ
が、腸管に着床させれば、それが可能だ」
 ステアリングを握る指が冷たくなるのを感じた。
「帝王切開状の手術痕、腸管の損傷、姿を消していた期間。
それらから考えられる可能性は一つだ。風丸は、人工子宮の
母体にされ、妊娠、出産している」
「それは……」
 誰が、何のために、と鬼道が問うより早く、ヒロトが叫んだ。
「鬼道!」
 反射的にルームミラーを見上げた。
 後ろから猛然と迫る車影があった。
 鬼道はアクセルを踏み込んだ。
 一瞬引き離したかに見えた二つの光る目玉が、見る見るうち
に近付いて来る。
「追突されるぞ!」
 視界からライトが消えた。相手のノーズが視界の下に潜り込
んだのだ。
 道は、市ヶ谷の駐屯地前に差し掛かっていた。交差点の信号
が、黄色から赤に変わる。
 鬼道は歯を食い縛った。豪炎寺が叫ぶ。
「踏み込め!鬼道!」
 床に着くほど深くアクセルを踏み、交差点に突っ込んだ。右
から出て来た車が、急ブレーキを踏み、勢いあまって半回転す
る。鳴り響くクラクションと、幾重にも重なって停まった車を
盾にして、追っ手を振り切った。
 詰めていた息を吐き出す。
 掌にびっしょりと汗をかいていた。スラックスの太腿で手を
拭う。
「何だ、今のは!」
「風丸が俺のところに現れたのと前後して、病院の周りを妙な
連中がうろつき始めた。風丸をさらったのと同じ奴らだと思う」
「そうか、それで、車を離れたところに停めろと言ったんだな」
 ヒロトが言った。
「俺も、裏口からそっと入ったんだ。誰にも見られないように」
「どうする?鬼道」
 豪炎寺が訊ねた。カーチェイスの後だというのに、端正な横
顔には、冷や汗ひとつ浮いていない。
「お前は俺に巻き込まれただけだ。これ以上危ない目にあい
たくないというなら、降りてもいい。俺たちをここで下ろして、
あとは忘れてくれ」
 前方の信号が赤に変わった。
 ここでウィンカーを上げ、車を路肩に寄せて停めたとしても、
豪炎寺は恨まないだろう。むしろ、何も知らせず巻き込んだこ
とに、引け目を感じているに違いない。
 鬼道はブレーキを踏み、車列の先頭で停まった。
「どうして初めから、全部教えなかったのかとか、言いたいこと
は色々あるがな。降りる気はない。風丸をこのままにはして
おけないし、今のところ、これが円堂に繋がる唯一のラインの
ようだしな」
「そうか。ヒロトは、どうする」
 豪炎寺は、肩越しに背後を振り返った。
「お前も無理することはない。おひさま園に俺たちを連れて行
くのに差し障りがあるなら、断ってもいいんだぞ」
「差し障ると思うなら、最初から断ってるよ」
 くすんとヒロトは覚えのある笑い方をした。


                           (続く)


2011.6.12 up