ミッシング・チルドレン


「誰だ」
「付いて来てくれ。そうすれば判る」
 鬼道が席を立つのを待ち、豪炎寺はドアを開けた。
 先刻、鬼道が使った西端の階段は使わず、棟の中央のエレベ
ーターに向かう。
 箱が上がって来る音が、やけに大きく聞こえた。物音がしな
いせいだ。他にも残っている人間はいるのかもしれないが、話
し声一つ聞こえない。
 箱に乗り込むと、豪炎寺は地下一階のボタンを押した。
 表示板によれば、この研究棟は、地上六階、地下二階で、地
下一階には実験室が入っているらしい。
 鬼道の目線に気付いて、豪炎寺が言った。
「地下には、実験室の他に、学部共有の仮眠室がいくつかある。
寝泊りする者もいるからな」
「仮眠室にいるのか。その、俺に会わせたいという相手は」
「ああ。多分、今は起きているだろう」
「具合が悪いのか」
 豪炎寺は、妙な言い方をした。
「臨床的に、という意味なら、そんなことはない。調べても、
内臓にも骨にも異常はなかった。いたって健康だ」
「じゃあ……」
「あいつが俺を訪ねて来たのは、一昨日の朝だ。いや、あいつ
が自分の意思で、俺を訪ねて来たのかも判らない。研究室にい
たら、客が来ていると、守衛室に呼び出された。行ってみたら、
あいつがいたんだ。
卒業してからも、俺は、あいつと時々会っていた。だが、大学
に来たのは、初めてだ。用件を訊いたが、答えなかった。最初
に応対した守衛にも、あいつは俺の名前を告げただけで、それ
以外は一切口をきいていなかった。
初めは、喋るのも億劫なくらい疲れきっているのかと思ったん
だ。顔色も悪かったしな。だから、とりあえず、ここの仮眠室
で休ませた。
だが、その日の夕方、あいつが目を覚ました時、俺は間違いに
気付いた。疲れて口がきけなかったんじゃない。あいつは──」
 がくん、と箱が揺れ、エレベーターが地下一階に到着した。
 三階と同じく、廊下には等間隔にドアが並んでいる。
 豪炎寺は、一番東端のドアをノックした。非常階段に隣接し
た部屋だ。ドアには、「仮眠室3」の表示と、すりガラスをはめ
込んだ小窓がある。
 窓の向こうは、明かりが灯っていた。
「俺だ。豪炎寺だ。開けてくれるか」
 ドア越しに声を掛ける。少し遅れて、応えがあった。
「一人?」
 その声に、聞き覚えがあった。
 豪炎寺同様、もう何年も聞いていなかったが、耳の奥に刷り
込まれ、聞き間違いようもない声だ。それに、豪炎寺が答える。
「いや。もう一人いる。鬼道を連れて来た」
 ドアが細く開いた。若い男が豪炎寺と目を見交わし、次いで、
豪炎寺の後ろに立つ鬼道を見た。
 切れ長の目と、赤い髪。確かに、鬼道がよく知っている男だ。
「ヒロト」
 こくりと頷き、ヒロトは二人の背後に素早く目を走らせた。
誰もいないことを確認して、
「入ってくれ」
と体を引いた。
 隙間から、鬼道は室内に滑り込んだ。後に豪炎寺が続く。
 鍵をかける、カチリという音が、いやに大きく聞こえた。
 入口からベッドを隠すように、薄い布を張った衝立が置かれ
ている。よく病院の診察室などで見かけるやつだ。
 それを背にして、ヒロトは言った。
「久しぶりだね。鬼道くん」
「今日はよく懐かしい顔に会うな。お前がいるとは思わなかっ
たよ」
 だが、豪炎寺が言う『客』は、ヒロトではない。
 ヒロトは、いわば生きた衝立だ。

 
                           (続く)


2011.3.25
短期集中のつもりが、20日近くも間があいてしまいました。
すみません。ここからは、ぱきぱき行きます!