ミッシング・チルドレン


 夜10時を過ぎているというのに、駐車場入口のプレハブ小屋
には、管理人の姿があった。
 平面式の駐車場は、その殆どが埋まっている。奥にようやく
空きスペースを見つけ、鬼道は車を停めた。
 赤のアウディTTS。2000ccのエンジンは、決して大容量と
は言えないが、ターボチャージャーと、小型のボディに不釣合い
なトルクのお陰で、スタートダッシュに極めて強い。
 エンジンを切り、コートを手に、車を降りた。
 管理人室に近付くと、窓が開き、日焼けした老人が顔を出し
た。
「夜間は先払いで3000円です」
「何時までですか」
「朝9時まで。私は夜通しここにいるけど、もし仮眠を取って
いたら、そのまま出て行ってもらっていいからね」
 頷いて金を渡し、鬼道は駐車場を出た。
 3月も半ばだが、まだ夜は冷え込む。静かな住宅地を歩きな
がら、コートの前を合わせ、無造作にベルトを縛った。
 表通りも、流石にこの時間になると、車も人も少ない。
 煌々とともる地下鉄の看板を横目に、大通りを渡り、目指す
K―大学医学部の門をくぐった。
 すぐ左手には、無人駐車場のランプが灯っている。
 こちらに停めれば、寒い中を歩く必要もなかったのだが、呼
び出した相手からの指示だったのだ。
 ──すまないが、車で来るなら、構外の駐車場に停めてくれ
ないか。出来るだけ離れたところに停めて、歩いて来て欲しい。
 理由は言わなかったが、昔から口数が少ない分、無駄なこと
は言わない男だった。何かしら理由があるのだろう。
 真新しい外来病棟の横を抜け、裏手の学部棟に回る。目指す
研究室は、その3階にあった。
 電話で教えられたとおり西端の階段を昇り、2つ目のドアの
前に立つ。ノックして、呼び掛けた。
「鬼道だ」
 内側からドアが開き、懐かしい顔が出迎えた。
「久しぶりだな、鬼道」
 会うのは7年ぶりだが、髪型も、熱さと冷たさが同居する、
整った顔立ちも変わっていない。
 当時と違うのは、身に着けているのが、チームのユニフォー
ムやジャージではなく、白衣だという点だ。
「結構、様になってるじゃないか。豪炎寺」
 握手代わりに、ぱん、と右手を打ち合わせた。


 ──今夜、研究室まで来てくれないか。
 かつてのチームメイトである豪炎寺から電話が掛かって来た
のは、今朝、鬼道が朝食を終えて、出かけようとしている時だ
った。
 2年前に米国の大学を卒業した鬼道は、養父が会長を務める
グループ企業の一つに入社し、今は経営を学んでいる。
 帰国してからは、鬼道の家も出た。養父は渋ったが、一人暮
らしの方が、妹が訪ねて来やすいだろうと思ったからだ。
 春菜は、時折遊びに来ては、洗濯だ料理だとやりたいだけや
って行く。
 鬼道自身、家事は苦手ではないし、特に頼んだわけでもない
のだが、妹は妹なりに空白の時間を埋めたいのだろう。そう思
って、鬼道は好きなようにさせていた。
 中学時代の仲間と会うことは、殆どない。
 サッカーから離れて久しいし、何より、望んで離れたわけで
はないからだ。
 会えば嫌でもそのことを思い出す。激しい未練が、胸をかき
乱す。
 だから、極力会わないように──思い出さないように努めて
来た。
 そこへ、電話が入ったのだ。
『豪炎寺だが』
 相手が名乗っても、鬼道は、すぐには返事が出来なかった。
メールでのやり取りは、何度かしたが、声を聞くのはおよそ7
年ぶりだ。
 だが、感慨に耽る間も与えず、前置き抜きで豪炎寺は言った。
7年の時間など、なかったかのような口ぶりだった。
『今夜、研究室まで来てくれないか。遅ければ遅いほどいい』
 10時過ぎに行く、と鬼道は約束した。
 
                           (続く)


2011.3.2
『くれない彼岸』の鬼島みつこさんに捧ぐ。
今から10年後の話です。
まだ豪炎寺と鬼道さんしか出ていませんが、円風です。
他のメンバーも出て来ます。