イバラノミチ


〜5〜

夕食の後、練習日誌をまとめようとして、ついうとうとして
しまったらしい。
「冬香さん、大丈夫ですか?」
 傍に、春菜が立っていた。彼女が、引き戻してくれたのだ。
「ごめんなさい……もう、大丈夫」
「すごくうなされてましたよ。何の夢を見てたんですか?」
「夢……」
 思い出そうとして、冬香は顔をしかめた。
 どんな夢だったろう。思い出せない。
 ただ、とても怖かった。目を落とすと、両腕に鳥肌が立って
いた。
「冬香さん、本当に、大丈夫ですか?」
 春菜が、心配そうに眉根を寄せる。
 それに、冬香は笑ってみせた。
「象に踏みつけられたの」
「え?」
「夢。大きな象に、踏みつけられる夢を見たの。ちょっと怖か
った」
 一瞬、間をおき、春菜は笑い出した。
「それは怖いですね。私だったら泣いちゃうかも」
「でしょ?恥ずかしいから、他の人には言わないでくださいね」
「はい、秘密にしておきます。あ、何か手伝うことありますか?
お皿は全部しまいましたけど」
「ありがとう。でも、これを付ければ終わりだから」
 日誌を指して言うと、春菜は、捲り上げていたジャージの袖
を下ろした。
「じゃあ、私、先にお風呂入っちゃいますね。何かあったら、
声掛けてください」
 手を振り、春菜が食堂を出て行く。
 冬香は、広げた日誌に目を落とした。
 日誌といっても、薄く罫線の入った、ありふれたノートだ。
 一日ごとに、タイムスケジュール、練習のメニュー、監督から
の指示、その日にチームで起きた出来事、食事内容まで書きと
めてある。
 以前は、秋の仕事だったが、今は冬香が担当していた。
 マネージャー歴が長く、全てによく目が行き届いている秋の
ようにはいかないが、それでもだいぶ、色々なことに気が付く
ようになって来た。
 少しは、役に立ってるのかな。
 気を取り直して、ペンを握り直す。
 白紙のノートに字を書き込もうとして、急に眩暈と耳鳴りに
襲われた。目を閉じる。
 ノート。
 守くんの家。
 庭先に、落ちていたノート。
 殴り書きの文字と、意味不明の絵。
 女の人。黒い服。
 広がるオレンジ色。赤い色。
 響くサイレンと、白い顔。
 ──冬香!
「……嫌っ」
 頭を振る。
 耳鳴りが消え、同時に、思い出しかけていた様々な断片も掻
き消えた。
 胸に両手を当てる。激しい鼓動が掌に伝わって来る。
 思い出しちゃいけない。
 思い出せば、また、あの怖いものたちが、やって来る。


                              (続く)



2010.9.25
2話分同時にアップ。